「富井政章」の版間の差分

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== 家族・親族 ==
妹のマサが[[法政大学]]創立者の一人[[薩埵正邦]]の妻であるため、薩埵正邦は富井政章の義理の弟にあたる。富井と薩埵はともに官立の京都仏学校で、[[レオン・デュリー]]のもとで学んでいたデュリー門下<ref>デュリーの記念碑が[[京都]][[南禅寺]]に建立された[[1899年]]、その除幕式に出席するため、梅謙次郎とともに東京から駆けつけている。岡孝 「[http://repo.lib.hosei.ac.jp/handle/10114/1969 明治民法と梅謙次郎 : 帰国100年を機にその業績を振り返る]」(『法学志林』第88巻第4号、法政大学法学志林協会、1991年3月、{{NAID|110000334218}})参照。</ref>でもあり、[[東京法学校]](現法政大学)の講師時代には薩埵宅で同居していたこともあった<ref>法政大学イノベーション・マネジメント研究センター、洞口治夫編 『大学教育のイノベーター : 法政大学創立者・薩&#22517x57F5;正邦と明治日本の産業社会』 書籍工房早山、2008年4月、ISBN 9784886115102。</ref>。
 
長男の[[富井周]]は[[サンフランシスコ]]総領事等を務めた[[外交官]]。
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           石坂泰三━石坂泰夫   ┃
                 ┃     ┃
     中村是公━━━━秀   ┣━━━[[石坂泰章]]
             ┃   ┃     ┃
             ┣━━章子     ┃