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'''醍醐 安之助'''(だいご やすのすけ、[[1912年]][[6月9日]] - [[1991年]][[11月3日]])は、日本の[[政治家]]。[[東京都議会]]議員(11期、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]])、第24代[[東京都議会]]議長。醍醐グループ役員。
 
== 親戚 ==
弟:[[醍醐幸右衛門]]([[政治家]]、[[実業家]])、大甥:[[醍醐将之]]、大姪:[[醍醐奈生子]]([[女優]])
 
== 経歴 ==
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[[1982年]]、勲二等[[瑞宝章]]を受章。
 
[[1991年]][[11月2日]]、46人目の[[名誉都民]]となる。同年[[11月3日]]死去。葬儀委員長は[[中曽根康弘]]が務めた。[[石原慎太郎]]、[[小野清子]]などが参列。葬儀・告別式場所は東京都大田区[[池上本門寺]]。通夜、告別式当日、[[池上警察]]により交通規制された
 
== エピソード ==
 
実子に恵まれなかった為、弟の長男を特に可愛がり、政治家にさせたいと常々思っていた。しかし、その長男は、競馬会議の海外出張途中、事故により他界、叶うことはなかった。
 
日本初のナイター競馬である([[トウィンクルレース]]([[大井競馬場]]))を安之助は政治面で、弟、幸右衛門は経済面によって実現させる。
 
([[大井競馬場]])内の記念展示室に銅像が建っている。
 
常に弟[[醍醐幸右衛門]]と行動をともにし、醍醐兄弟としての活動が顕著である。兄弟揃って敬愛していた[[頭山満]]の三男[[頭山秀三]]が[[昭和27年]]7月21日事故で亡くなった際、兄弟でその子である[[頭山興助]]の面倒を見た。[[頭山興助]]は後に「醍醐兄弟みたいなのは二度と出てこない。特に幸右衛門先生は「自分自身にとって第二の親父。」」と語っている。
 
[[1958年]]、弟所有の[[ダイゴホマレ]]が[[東京優駿]]を制した際、記念写真で手綱を取ったのは[[醍醐幸右衛門]]ではなく、'''醍醐 安之助'''である。
 
== 役職 ==
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* [[全国消防長会]] 会長
* 東京都傷痍軍人会 会長
* 東京都テコンドー協会連盟 第二回、第三回 大会会長(第二回大会 1987年6月28日、第三回大会 1988年5月22日)
 
== 競走馬の馬主 ==
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{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
 
東京都テコンドー協会連盟 第二回、第三回 大会会長(第二回大会 1987年6月28日、第三大会 1988年5月22日)[[http://www.jita.jp/jta/020-sanka/tokyo.html]]
== 出典 ==
著者:[[石原慎太郎]] タイトル:"弟" JAN/ISBN 9784877287368
 
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[[Category:東京都の地方議会議員]]
[[Category:自由民主党の人物]]