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欧州石炭鉄鋼共同体

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'''欧州石炭鉄鋼共同体'''(おうしゅうせきたんてっこうきょうどうたい、[[英語]]:European Coal and Steel Community、略称:'''ECSC''')は、[[冷戦]]期に6か国によって設立され、のちに[[欧州連合]]となっていった[[国際機関]]。
 
国際[[カルテル]]から生まれ、生産割当・価格制限・情報共有・投資調整・安全保障・エネルギー政策といった機能が不可分に結びついていた。
 
== 概要 ==
 
1957年には欧州石炭鉄鋼共同体のほかに2つの似たような共同体の設立が決まり、いずれも加盟国や一部の機関を共有するものとなった。1969年には欧州石炭鉄鋼共同体の機関が[[欧州経済共同体]]のそれらに統合されたが、共同体としては独自に存続していった。ところが2002年にパリ条約が失効し、また条約が更新されなかったため、欧州石炭鉄鋼共同体の活動や資源は[[欧州共同体]]に吸収された。欧州石炭鉄鋼共同体が存続していた期間で市場の統合は達成したが、石炭・鉄鋼産業の衰退を回避することはできなかった。しかしながら、欧州石炭鉄鋼共同体は将来の[[欧州統合|欧州連合における統合]]の基盤を創りあげたといえる。
 
== カルテルの究極 ==
[[#条約|パリ条約]]第65条は原則として[[カルテル]]を一切禁止する<ref>「共同市場において競争が正常に行われることを阻止・制限・歪曲することを、直接または間接の目的とする企業間の協定、企業団体の決定および通謀行為はすべて禁止される。」</ref>。[[過度経済力集中排除法]]にあたる規定も存在した。
 
しかし共同市場は産業の合理化に都合が良いから標榜されたのであって、参加国の独占資本には抜け道が用意してあった。共同体は、自らの権限で生産割当や価格制限をすることができたし、場合によって<ref>以下の①②③を満たすことが認可の要件。ときどきの市況にって判断される。更新制の有無は不明。
:①生産・分配の顕著な改善に貢献すること。
:②先の改善にカルテルが不可欠であり、改善に不必要なほどに競争を制限しないこと。
:③価格・販路を統制する決定力がないこと。決定権を外へ移譲したり、共同体内のアウトサイダーに元々競争力があったりするときは要件を満たす。</ref>カルテルを認可することもできた(65条第2項)。認可された例は、西ドイツ製鐵メーカーのアメリカ炭輸入協定、イタリア・フランスの薄板・特殊鋼供給契約、そしてベルギーの鉄鋼カルテルである。認可の下りなかった例として、西ドイツ・イタリアの鉄くずカルテルがあるけれども、共同体全体でスクラップの共同輸入を1953年から1958年末にかけて行い、事実上そのカルテルを存続させた。共同体内に発生したスクラップには賦課金をかけ、輸入鉄くずに補償金を与えた。しかも鉄くずの使いすぎに罰金を課して、銑鉄使用に補助金を出した。<ref name=cartel>江夏美千穂『現代の国際カルテル』日本評論新社 1961年 第4章</ref>
 
また、民間企業の設備投資は原則として各企業の自由であった。しかし共同体は[[五カ年計画]]のようなこともやった。民間企業から投資設計を報告させるなどして需要予測を立てた。それに照らして需給バランスに問題を認めるときは、警告したり自ら救済融資に動いたりすることができた。1957年に[[銑鉄]]が不足し鉄くずの消費が増大したときは、警告の上銑鉄部門に融資を行った。また、この数年後にわたり共同体は西ドイツ鉄鋼メーカーへ何度も融資をした。それは例えば[[:de:Salzgitter AG|ザルツギッター]]への1億マルク信用保証とか、[[ティッセンクルップ|ティッセン]]事業拡大への融資などである。この頃ちょうど共同体は[[クーン・ローブ]]などから多額の融資を受けており、外の金融カルテルとも関係していることが分かる([[ベルギー#独立以降]]を参照)。共同体は、生産割当・価格制限・情報共有というカルテルの伝統的な機能だけでなく、投資調整まで可能であった。<ref name=cartel />
 
[[#機関|共同体の機関]]は最高機関、共同総会、閣僚特別理事会、司法裁判所の四部構成であるが、そのうち共同総会と司法裁判所は共同体の設立からほどなく[[欧州原子力共同体]]と共有された。欧州石炭鉄鋼共同体発足時は原子力大国フランスの発言力が大きかった。[[チュニジア]]の独立から2年たった1958年、[[西ドイツ]]下院で核武装が決議された。ボタンは[[NATO]] が持つことになった。これは[[ニュークリア・シェアリング]]と呼ばれている。そしてこの頃、共同体は西ドイツ鉄鋼メーカーへ継続的に資金を提供していたのである。共同体は、投資調整と安全保障とエネルギー政策を不可分な形で担ったのである。
 
共同体内の鉄鋼業は国際輸出カルテルを結んでいた。1953年3月に発足した'''ブラッセル・コンベンション'''である。原加盟国はフランス・[[ベルギー]]・ルクセンブルクであったが、同年9月オランダと西ドイツが参加した。いつしかイタリアも加盟した。協定品目は画期的、つまり鉄なら大体全部であった。罰金の徴収・管理は戦前から引続き[[スイス銀行|スイス信託会社]]が請け負った。ブラッセル・コンベンションは共同体内よりも高い価格で輸出し、[[関税及び貿易に関する一般協定]]の総会で問題にされた。最高機関はブラッセル・コンベンションを条約違反と宣言したが、条約の規制する競争制限は共同体内に限り輸出は規制外という抗弁が通ってしまった。<ref name=cartel />
 
1968年、ブラッセル・コンベンションは[[ブラッセル体制]]を敷いた<ref>{{cite web|url=http://www.consilium.europa.eu/en/documents-publications/agreements-conventions/agreement/?aid=1968001|title=Convention on jurisdiction and the enforcement of judgments in civil and commercial matters|accessdate=2014-11-06|publisher=[[Council of the European Union]]}}</ref>。そしてこの年に[[ユーロクリア]]ができたのである。
 
== 歴史 ==
1926年に結ばれた''Entente internationale de l'acier'' という国際[[カルテル]]がECSC の土台となった。
 
[[1950年]][[5月9日]](のちに[[ヨーロッパ・デー]]とされる)に発表された[[シューマン宣言]]は[[ジャン・モネ]]の構想に基づいて作成され、共同市場において石炭と鉄鋼を共有するヨーロッパの共同体を設立するというものであった。シューマンは宣言の中で次のように述べている。
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