「慈恩寺 (寒河江市)」の版間の差分

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* [[林家舞楽]](慈恩寺舞楽)
: 五月の一切経会で八番の舞を披露する。燕歩(えんぶ)、三台(さんだい)、散手(さんじゅ)、太平楽(たいへいらく)、安摩(あま)、二ノ舞(にのまい)、陵王(りょうおう)、納蘇利(なそり)。
: 林家舞楽は[[貞観 (日本)|貞観]]2年([[860年]])林越前政照が[[円仁]](慈覚大師)に伴って[[出羽国|羽州]]に下り、[[立石寺|山寺]]日枝神社の前で[[舞|舞楽]]を奉奏したのが始まりと伝わる。[[大永]]元年([[1521年]])山寺が[[天童頼長]]の戦火で焼失した際に慈恩寺に移り、江戸時代には最上院配下として20石9斗余の朱印地を得ていた。[[永正]]11年([[1514年]])から慈恩寺に残る『舞童帳(ぶどうちょう)』により、このころには既に慈恩寺で奉奏していたことがわかる<ref>『寒河江市史 慈恩寺中世史料(解読版)』p.24-34</ref><ref>『みちのく慈恩寺の歴史』 p.62 </ref>。江戸時代に八鍬村(現寒河江市大字八鍬)から[[河北町]]へ移ったという。
 
=== 山形県指定有形文化財 ===
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* 寒河江市史編さん委員会、『寒河江市史 上巻』、1994
* 寒河江市史編さん委員会、『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』、2001
* 寒河江市史編さん委員会、『寒河江市史 慈恩寺中世史料(解読版)』、1997
* 寒河江市教育委員会、『みちのく慈恩寺の歴史』、2013
* 山形県寒河江市教育委員会、『図録 慈恩寺修験資料』、2013