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{{出典の明記|date=2013年12月22日 (日) 04:51 (UTC)}}
{{戦車|
| 名称=IS-1
| 画像=[[File:IS 1 prototyp.jpg|250px]]
| 説明=
| 全長=8.32 [[メートル|m]]
| 車体長=6.77 m77m
| 全幅=3.07 m07m
| 全高=2.73 m73m
| 重量=44.16 [[トン|t]]
| 懸架方式=[[トーションバー・スプリング|トーションバー方式]]
| 速度=
| 整地時速度=37 [[キロメートル毎時|km/h]]
| 不整地時速度=19 km19km/h
| 行動距離=225 [[キロメートル|km]]
| 主砲=85 mm[[52-K 85mm高射砲#戦車砲|85mm加農砲 D-5T85 L/51,6]]
| 副武装=[[DP28軽機関銃|7.62 mm DT 62mm機関銃 DT]]×2
| 装甲=[[砲塔]]<br/>防楯100mm 前面/側面90mm<br/>車体<br/>前面100-120mm 側面90mm 後面60mm
| エンジン名=V-2-IS<br/>[[液冷エンジン|液冷]][[V型12気筒]][[ディーゼルエンジン|ディーゼル]]
| 出力=600 馬力 / 2000 rpm2,000rpm
| 乗員=4
}}
'''IS-1'''([[ロシア語|露]]:'''{{lang|ru|ИС-1}}'''<small> イーエース・アヂーン</small>; [[ウクライナ語]]:'''{{lang|uk|ЙС-1}}'''<small> ヨートエース・オドィーン</small>; [[ポーランド語]]:'''JS:JS-1'''<small> ヨトエス・イェデン</small>; [[英語|英]]:'''JS:JS-1'''<small> ジェイエス・ワン</small>)は、[[1943年]]末から短期間生産された[[ソビエト連邦|ソ連]][[赤軍]]の[[戦車]]である。「IS/JS」とは、当時のソ連の指導者[[ヨシフ・スターリン]]('''I'''ossif '''S'''talin/'''J'''oseph '''S'''talin )talin)の頭文字であり、失脚した「KV」(=ロシア語で{{lang|ru|КВ}}(カーヴェー)[[国防人民委員部|国防人民委員]][[クリメント・ヴォロシーロフ]]に代わる、政治的な意味とソ連最強の[[戦車]]であることを強調し命名された。
 
== 概要 ==
[[1943年]]の初め、[[鹵]]に成功した[[ドイツ]]の[[ティーガーI]][[戦車]][[戦闘|戦闘力]]に衝撃を受けた[[ビエト邦|ソ連]][[国防人民委員部|国防委員会]]は、これに対抗できる[[重戦車]]の開発を決定した。
 
[[装甲|重装甲]]化により[[機動|機動性]]がますます悪化した[[KV-1]]重戦車の反省から、新型重戦車は装甲厚と[[火力 (軍事)|火力]]を増強させながらも45 t45t以内に収めるよう要求が出された。ソ連戦車に使われているシンプルな操行装置では、それ以上の重量では操作が重すぎ、故障も発生しやすいからである。
 
ニコライ・シャシムリン[[技師]]の設計チームは、KV-1と[[T-34]]両方の後継を目指し失敗した[[プロトタイプ|試作]]戦車KV-13と、KVの軽量型である[[KV-1#バリエーション|KV-1S]]を発展させる形で、新型試作車オブイェークト233([[武装・76]]:76.2 mm2mm砲)と234(武装・122 mm:122mm[[榴弾砲]])を作り上げた。機銃手兼[[無線]]手は廃止され、[[運転者|操縦手]]は車体前部中央に座る形となった[[|機銃]]は車体右前側に固定され、操縦手が発砲する直視型のバイザーブロックが付く前面[[装甲]]は、KV-13同様の大型[[鋳造]]部品となった。しかし試験では操行装置や[[エンジン]]、また転輪配置の間隔の問題で、特に軟弱な地面では激しい横揺れが発生し問題となった。転輪を片側6個に増やし改善した新型試作戦車オブイェークト237では[[砲塔]]が大型化され、[[52-K 85mm高射砲]]から発展した85 mm[[52-K 85mm高射砲#戦車砲|85mm戦車砲]]D-5T]]が搭載され、後のスターリン戦車の形状が完成した。また、[[トランスミッション]]は更に改良され、信頼性と量産性が向上した。しかし、'''IS-85'''として正式採用はされたものの量産開始に手間取ったため、繋ぎとしてこの戦車の砲塔をKV-1Sの改造型に搭載した[[KV-85]]が先行して量産された。
 
問題点を解決したIS-85改めIS-1は1943年10月から翌年1月にかけ107が生産されたが、[[中戦車]]である[[T-34#1943年以降|T-34-85]]の量産開始と、85 mm85mm砲ではティーガーの[[8.8 cm FlaK 18/36/37#発展型|8.8cm]]の射程外からその装甲を撃ち抜くのは不可能と判明したことから、生産開始わずか15日で火力の更なる増強が決定された。対戦車用としてより強力な[[D-10_100mm10 100mm戦車砲#D-10S|100 mm100mm戦車砲S-34]]を搭載する'''IS-100'''もテストされたが、全くの新型であり[[補給]]の問題から従来の[[野砲]]弾を流用できる122[[A-19 mm122mmカノン砲|122mm砲A-19]]が採用され、これは量産型で戦車用に改良されたD-25Tとなった。これはIS-122、改め機密保持(名前から砲の[[口径]]がわかってしまう)のためIS-2として量産に入った。[[ドイツ人]]はJS(ヨットエス)-122と呼んでおり、ティーガー戦車のエースである[[オットー・カリウス]]が戦後のインタビューでこう呼んでいることから、戦中通しての呼び名ではないかと思われる。しかし85 mm、85mm砲に比べ威力こそ大きくなったものの、搭載できる[[弾薬]]が28発に激減したことは不評であり、新型の85 mm85mm戦車ZISZiS-S-53に換装された試作車オブイェークト244も作られたが、採用はされなかった。
 
IS-1はKV-85同様に親衛重戦車連隊に実戦配備された。この[[部隊]]では、乗員が戦車一輌1両につき[[将校]]2名([[指揮官|戦車長]]と操縦手)、[[下士官]]2名(装填手と砲手)と[[階級]]が高かったが、多くは実戦部隊からではなく戦車学校から直接送りこまれてきた。そのためか[[1944年]]2月、第13親衛戦車連隊のIS-1は[[ウクライナ]]のリスヤンカ村において味方部隊の攻撃支援中、[[V号戦車パンター|V号戦車パンター]]および[[IV号戦車]]と[[突撃砲]]の待ち伏せを受け、距離600~700 m600-700mからの集中砲火で壊滅した(にもかかわらず、翌日村は[[赤軍]]により解放されたまた翌月、同部隊のIS-1は至近距離から[[2.8cm sPzB41]]([[ゲルリッヒ砲]])に鋳造製の車体前方下部装甲を撃ち抜かれてしまった(後にこの部分には予備[[無限軌道|履帯]]が補助装甲として装備されるようになった。そして、[[対戦車砲]]やティーガー戦車との戦闘で大きな損害を出し、代わりに[[IS-2]]が配備されていった。
 
なお、[[1980年代]]初め頃まで[[西側諸国|西側]]の研究者にはIS-2・43年型がIS-1、44年型がIS-2と思われており、85 mm85mm砲搭載型は100 mm100mm砲型同様に数の試作のみに終わったと考えられていたが、スティーヴン・ザロガの研究により改められた(この時44年型はIS-2mと呼ばれたが、後にソ連ではそう呼ばれていないことも判明する。もちろん、戦後改修型のIS-2Mとは別物であるまたその後もIS-1は試作どまりであり、すぐIS-2に生産が移行したとされ実戦参加は無いと思われていたり、また[[主砲]]を換装してIS-2に改造されたと思われていたが、[[ソ連崩壊]]以降流出した資料により、いろいろ様々な事実や戦歴が明らかになった。
 
== 登場作品 ==
=== 漫画 ===
; 『[[World of Tanks]]』
:; 『独立戦車隊』
: [[赤軍|ソ連]][[重戦車]]として本車を開発可能。[[IS-2]]相当に改造できる。
:: 「ウクライナ混成旅団~幻の豹」にて、UPAらが[[捕虜]][[収容所]]から奪った[[V号戦車パンター]]を[[追撃]]するために[[赤軍]][[重戦車]][[大隊]]に所属している本車が登場し、夜間にV号戦車を包囲することに成功する。
:: しかし、不意打ちで1両がショットトラップを狙われて[[撃破]]されたうえ、夜陰に乗じてV号戦車に逃げられてしまう。最後の農村での[[戦闘]]でも8両が登場し、V号戦車を攻撃するが、隊長車を除く7両が撃破されてしまう。
 
=== ゲーム ===
:; 『[[World of Tanks]]』
:: [[赤軍|ソ連]][[重戦車]]として本車を開発可能。[[IS-2]]相当に改造できる。
 
== 関連項目 ==
* [[戦車一覧]]
* [[重戦車]]
* [[KV-85]]
* [[IS-2]]
 
{{Commons|Iosef_Stalin_tank|IS シリーズ}}
 
{{第二次世界大戦のソ連の装甲戦闘車両}}
 
{{DEFAULTSORT:IS-1}}