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'''フィレンツェ公国'''(フィレンツェこうこく、{{lang-it-short|Ducato di Firenze}})は、[[16世紀]]の[[イタリア]]に存在した国家である。首都は[[フィレンツェ]]。
 
[[1532年]]、[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]により[[アレッサンドロ・デ・メディチ]]にフィレンツェ公の位が与えられると、[[メディチ家]]に事実上支配されていた[[フィレンツェ共和国]]はフィレンツェ公国となった。[[1537年]]にアレッサンドロが暗殺されると、傍系である[[コジモ1世・デ・メディチ]]が後を継いだ。[[1555年]]には[[シエーナ共和国]]との戦争が終わり、[[1559年]]の[[カトー・カンブレジ条約]]によりシエーナを併合した。[[1565年]]に、息子の[[フランチェスコ1世・デ・メディチ|フランチェスコ]]が、前神聖ローマ皇帝[[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント1世]]の娘[[ジョヴァンナ・ダズブルゴ|ヨハンナ]]と結婚し、[[神聖ローマ帝国]]との結びつきをさらに強めた。[[1569年]]にコジモ1世が[[大公]]位を得ると、フィレンツェ公国は[[トスカーナ大公国]]へと変わった。
 
== 関連項目 ==
*[[トスカーナの支配者一覧]]
*[[トスカーナ州]]