「ヤング案」の版間の差分

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== その後 ==
同時期に発生した[[世界恐慌]]により、ドイツの経済は再び強烈な不況を迎えることとなり、[[1932年]]、[[スイス]]の[[ローザンヌ]]で行われた[[ローザンヌ会議]]において、賠償金はさらに今後30億金マルクに減額されたが、翌年、ナチスによって支払いは一方的に拒否された。その後、アメリカへの戦債は解消しないままであった。[[戦後補償]]は完了をするのはドイツ統一後に利子の支払いを再開してからで、アメリカへの債務は[[2010年]][[10月3日]]にようやく終わった。しかし他国への債務はまだ[[2020年]]まで残っている。
 
日本は賠償支払を受ける国の一つであり、[[ベルギー]]を舞台にした[[パリ講和会議#チェシン問題|スパ会議]]の決定により賠償支払のうち0.75%を受け取っていた。ヤング案においても初年度には1250万ライヒスマルクの支払を受ける権利を持っていたが、[[サンフランシスコ平和条約]]第8条C項により対独賠償請求を放棄している。なお、スパ会議で決まった各国の分配率は、フランス52%、イギリス22%、イタリア10%、ベルギー8%、[[ユーゴスラビア]]5%である。