「坂田三吉」の版間の差分

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== 生涯 ==
堺県大鳥郡舳松村[[塩穴]]<ref>[[大鳥郡]][[塩穴郷]]に遡る</ref>(現在の大阪府堺市堺区[[協和町 (堺市)|協和町]]5丁)の生まれである<ref>阪田の曾孫の証言による。</ref>。生業の草履表づくりを手伝いながら、将棋を覚える。
 
[[1886年]](明治19年)ごろ、[[日本橋 (大阪市)|日本橋]]の履き物問屋に丁稚奉公、町角の縁台将棋によく顔を出し大人を負かせるなど早熟の天才振りを見せていた。だが、将棋に夢中になるあまり背負っていた奉公先の子供を負傷させ、暇を出されたといわれている。