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[[天平勝宝]]8年(756)、[[聖武天皇]]の77日忌にその遺品が[[東大寺]]に献納された。その献納品の目録『東大寺献物帳』の中にコショウが記載されている。当時の日本ではコショウは[[生薬]]として用いられていた。コショウはその後も断続的に輸入され、[[平安時代]]には調味料として利用されるようになった<ref>鈴木晋一 『たべもの噺』 平凡社、1986年、pp.68-69</ref>。
[[唐辛子]]が伝来する以前には、[[山椒]]と並ぶ香辛味の調味料として現在よりも多用されており、[[うどん]]の薬味としても用いられていた。現在でも[[船場汁]]、[[潮汁]]、沢煮椀などの[[吸い物]]類を中心に、薬味としてコショウを用いる[[日本料理]]は残存している。(「胡椒茶漬け」という料理があったという記録もある)。
[[日本]]唐辛子はその伝来当初、胡椒の亜種として「南蛮胡椒」「高麗胡椒」などと呼ばれていた。このため現在でも[[九州]]北部地方をはじめ各地で中心に、唐辛子の事を「胡椒」と呼ぶ事地域がある。九州北部にて製造される[[柚子胡椒]]や、[[沖縄]]の[[コーレーグス]](高麗胡椒)の原料は唐辛子である。胡椒を主に唐辛子の意で用いる地域では、''P. nigrum''は「洋胡椒」と呼びんで区別することもある。
==産地==
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