「子産」の版間の差分

死ぬに当たって後継者に指名<!--「任命」するのは国君の仕事-->した子大叔(游吉。子游の孫)に「寛容な態度で治めるのは徳を持った人間だけが可能です。次善は厳しい態度で治めるやり方です。あなたは次善の方法で治めるのが良いでしょう。例えば火は恐ろしいですが、その恐ろしさゆえに人が近づいてこないので、却って焼死する人は少ないのです。しかし水は柔らかなので人は慣れ親しんで近寄り、大勢の人が溺死します。これと同じように寛容な態度で治めるのは難しいのです。」と遺言した。
 
その後、子大叔は子産の遺言に逆らって寛容な態度で臨んだが、領内に盗賊が多くなり乱れた。子大叔は反省して厳しい態度で臨み、盗賊を捕らえてみなごろ皆殺しにした。
 
[[孔子]]は直接には子産には会っていないが、子産に対して私淑していたという。子産の死を聞いた孔子は涙を流して「今の世に無い仁愛を持った人であった。」と言った。
3,358

回編集