「慶長伏見地震」の版間の差分

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'''慶長伏見地震'''(けいちょうふしみじしん)は、[[1596年]][[9月5日]]([[文禄]]5年[[閏月|閏]]7月13日)[[子の刻]]に現在の[[京都]]・[[伏見]]付近で発生した大[[地震]]である。'''慶長伏見大地震'''とも呼称される。京都では[[伏見城]]<ref>1594年築の[[指月城]]であり、現在の伏見桃山城とは異なる。2015年に瓦が発掘された。巨椋池が広がる湿地帯のすぐ側にある小さな丘で地盤が弱かった。現在の地名は京都府京都市伏見区桃山町秦長老。</ref>[[天守]]や[[東寺]]、[[天龍寺]]等が倒壊し、死者は1,000人を超える。
 
== 概要 ==