「喧嘩商売」の版間の差分

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: 全日本体重別選手権決勝戦での村井との因縁の対決を制し五輪代表に内定していたが、金田の策略によりドーピング違反に問われて村井と共に失格となり、柔道への情熱を失って現役を引退する。その後、全日本選手権決勝で関が金田を倒した様子を観戦して奮起し[[ボクシング]]へ転向、弱小団体王者ながらもヘビー級チャンピオンをスパーで倒す素質を見せる。しかしプロテストでの佐川徳夫との対戦時に格の違いを見せつけられ、徳夫が研究中の煉獄の実験台として一方的に叩きのめされる。その後ボクシングを諦め、今度は[[日本拳法]]を志し徳夫の内弟子となった。陰陽トーナメントに臨む徳夫のセコンドも務める。
; 川原 卓哉(かわはら たくや)
: 関らより上の世代のオリンピック無差別級金メダリスト。「カワタク」という愛称で呼ばれており、寝技を得意としていたことから「寝技のカワタク」とも呼ばれている。かなりの自信家でナルシストだが、自分より上の実力者は認めており、文学と関を褒め称える発言をしている。唇が厚い。
: 文学の高校時代の2年先輩で、インターハイ無差別級王者だった。後に金メダルを獲った時の記者会見で「富田流の入江なら山本陸に勝てるかもしれない」と発言し、無一が山本に挑むきっかけを作った。この直後、選手として全盛期にありながら現役を引退。その理由を後に「関修一郎が無差別級に階級を変えると聞いたため」と語っている。
: 高校時代に柔道の試合で敗れて以来文学と親交があり、煉獄研究を目論む文学から山本海に挑むようそそのかされたり、文学や十兵衛の柔道の稽古に駆り出されたりしている。柔道日本代表監督への就任要請を断り、陰陽トーナメントに臨む文学のセコンドについている。山本海との対決は詳細は描かれていないが、海が煉獄を放ったこと、本人が海に良い感情を抱いていないことから敗北したものとされている。
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; {{Anchor|上杉 均}}(うえすぎ ひとし)
: 山本陸と並び「喧嘩王」と称されている進道塾の高弟。打たれずに打ち倒されずに倒す「捌き」の達人。取り調べで暴行を受けた橋口の仇を取って[[警察官]]を叩きのめすなど義侠心が非常に強く、山本陸にも劣らない存在感やカリスマ性を持っており、心酔する塾生も少なくない。煉獄をどのパターンからでも開始でき、また3分以上連続して撃ち続けることができる。
: 田島の陸襲撃を無一がやったものと勘違いし、海と共に入江邸に乗り込んで無一と対戦、金剛を受けて破れた。その際に煉獄を文学に見られたことと、進道塾を海に継がせたいことを理由に処分を願い出て、進道塾を破門される。9年後、進道塾に対する川口夢斗の挑戦状や田島主催の陰陽トーナメント出場要請を受け、塾長を継いだ海の要請で塾に復帰。復帰を聞いて駆けつけた、分派した門下生も含む五万人の塾生の目の前で、進道空手九段位・主席師範としてトーナメントに出場することを表明した。トーナメントでのセコンドは橋口
: 十兵衛が全国ネットの生中継試合となった金田戦で煉獄を用いて勝利し、更に試合後に富田流独自の技であると発言したため、自らの「完全な煉獄」の封印も解かれたとされている。
; 高野 照久(たかの てるひさ)
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: 登場当初は皮膚が褐色で、物事に対してノーと言えない性格だった。損な役回りやギャグキャラとしての立ち回りが多かったが、格闘家としての一面がクローズアップされるにつれて、ストイックに格闘技の道を進むようになっていった。十兵衛戦後は十兵衛の戦い方を取り入れ、駆け引きにも長けるようになっている。
; 青木 裕平(あおき ゆうへい)
: 進道塾のかつての高弟で、進道塾分裂前の最後の国際大会優勝者。空手家としての実力の足りない山本海が二代目塾長となったことへの不満から塾を脱退、宇都宮を拠点に進道塾青木派を立ち上げたが、上杉の復帰で進道塾本流へ戻った。[[スキンヘッド]]。
: 身長205cmと非常に恵まれた体格をしているが、一線を退いてから10年経っており、また空手の試合以外の実戦経験も豊富ではない。そのため門弟だった高野に敗北し、文学に自らの煉獄を盗まれて敗北するなど、劇中では目立った活躍が見られない。
; 橋口 信(はしぐち しん)
: 進道塾のかつての高弟。全国大会で三度の優勝経験を持つ、進道塾中量級・軽重量級のトップ選手だった。拳の人差指と中指を開く、クセのある構えをしている<!--しかし画面では中指と薬指を開いている-->。煉獄を伝授されている。
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: 煉獄を伝授されるなど父の高弟として扱われてはいたが、その実力は他の高弟に劣っている。それが原因で、失踪した父の後を継いで二代目塾長となった時に高弟が次々と離れていき、組織の分裂を引き起こしてしまった。その後は実力不足ながらも上手く立ち回り進道塾を運営してきたが、川口夢斗の挑戦と陰陽トーナメント出場要請に対処しきれなくなり、自分の実力不足を受け入れ、上杉均の破門を解き、主席師範として呼び戻した。上杉の入江邸襲撃に同行したり、文学の煉獄研究のためにカワタクと戦うよう仕向けられたりするなど、富田流と因縁が深い。
; 山本 空(やまもと そら)
: 山本陸の次男。進道塾恵比寿道場の道場主で、中学生の頃は進道塾のトップ選手として有名だった。道場破りに来た里見賢治と対戦し、錬度の足りなかった自らの煉獄を破られて敗北、里見の門下に入り進道塾を離れた。高弟の中で上杉の復帰に際し唯一姿を現していない
; 石原 一茶(いしはら いっさ)
: 進道塾青木派の門下生で、高野の友人。高野に憧れている。ハゲの家系で、若くしてハゲが進行しているのを激しく気にしている。
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: 佐川睦夫の小学校時代の同級生。幼い頃から進道空手を学んで三段位を持っており、上杉均に憧れている。背中と左肩に[[刺青]]がある。
: 余りある武道の才能故に傲慢な性格が形成され、18歳で結婚した妻に[[家庭内暴力]]を振るい続けていた。暴力から逃れるために実家に連れ戻された妻を奪い返そうと、妻の実家に乗り込もうとしていたその道中で、自分を父親と勘違いした睦夫に拉致・監禁された。5ヶ月後の1月1日に睦夫と立ち会う約束でひたすら鍛錬を積み、当日の立ち会いではブラジリアンキックで睦夫を倒したかと思われたが、戦っていた相手は睦夫ではなく睦夫が拉致してきた別の人間で、直後に睦夫の直突きを受け叩きのめされる。
: その後、睦夫の「父親」として陰陽トーナメントのセコンドに就かされるが、何をしでかすか分からない睦夫を恐れていて、日本からマカオに移動する飛行機内で徳夫を襲撃するよう遠回しに命じられ、徳夫に強襲をかけて即座に返り討ちに遭った。
 
=== 板垣組 ===
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; 澤 信望(さわ のぶもち)
: 板垣組の構成員。力試しのために組事務所に乗り込んできた梶原から金剛を受けて失神し、その後食客となった梶原の身の回りの世話をしている。
: 梶原の陰陽トーナメント出場にあたってセコンドに就任、梶原を負けさせたい組の意向でスパイを行っていたが、意図を見破られて説得され、梶原と共に板垣組を乗っ取りを目論むようになった。梶原がトーナメントに敗退した後も、梶原とふたり2人で板垣組を乗っ取る野心を抱き続けている。
; 吉田 俊幸(よしだ としゆき)
: 板垣組の構成員。トーナメントでは工藤のセコンドとして行動を共にしている。
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; {{Anchor|佐川 睦夫}}(さがわ むつお)
: 外国の戦場で戦う[[傭兵]]。敵の血を啜るという奇行のために傭兵仲間からは「[[吸血鬼]]」と呼ばれ不気味がられているが、一方で睦夫が部隊にいれば必ず生き残れるため、英雄としても扱われている。
: 日本拳法家・佐川雅夫の長男に生まれ、幼い頃から日本拳法を学んでいた。凡庸な才能ながら父の期待に応えるべく、勉学など生活の全てを犠牲にして必死に稽古に打ち込み続けていたが、中学生の時に出場した進道塾の大会で田島彬に完敗。それによって雅夫が父から拳法家としての睦夫の才能を見限られ、それを父に捨てられたと受け取ってしまったことで精神が破綻し、「体の中のガラス玉が割れて血を砂に変える毒薬が流れ出てしまった」「血を砂に変えないために他人の血を飲み続ける必要がある」と思い込むようになった。
: 父に対する愛憎が非常に深く、雅夫が亡くなって以来、がまだ生きていて常に傍らにいるかのような幻覚を見ている。後に雅夫の死を受け入れ幻覚は見なくなったが、その後も無関係で見ず知らずの人間を拉致監禁し父に仕立てようとするなど、明らかに精神を病んでいる。その手で雅夫を殺害したと示唆されるような描写がある。
: 日本拳法をベースにした[[軍隊格闘術]]を用いている。セコンドに菅野祐太郎を携え、陰陽トーナメントに出場する。
; {{Anchor|佐川 徳夫}}(さがわ のりお)
: 佐川雅夫の次男で睦夫の弟。兄と同じく幼少時から日本拳法を学んできたが、兄と違って天才的な資質を持っており、全日本選手権でも圧倒的な実力で優勝を飾っている。更にその才能は日本拳法以外にも及び、野球では全くの初心者にも関わらずプロ投手の球を打ち込んで「間違いなく史上最高のバッターになれる」とドラフト指名を受け、またボクシングでは川上竜に対し、大晦日のテレビ中継で見て覚えた煉獄の研究・練習をしつつ圧倒してみせた。セコンドに川上竜を携え、陰陽トーナメントに出場する。兄とは仲が悪く、内心で見下している。
: 読唇術の心得があり、また相手の表情や振舞いから些細な嘘も見抜くことができる。父が死亡して以来、心の平静を保つため、兄と同じく父がまだ生きていて常に傍らにいるかのような幻覚を見ている。
; 佐川 雅夫(さがわ まさお)
:日本拳法家。睦夫と徳夫の父。かつては山本陸、川口拳治らと同門の空手家で、2人と同じく寸止めルールに異議を唱えて空手から日本拳法へと転向した。自身の老いを悟り、睦夫・徳夫の2人の息子に幼少時から日本拳法の英才教育を施していたが、何者かに惨殺された。幼少時から武道を学び、空手の他に柔道、[[剣道]]、[[居合道]]の有段者でもあった。
 
=== ボクシング ===
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: ウォーレンの兄貴分。世界チャンプ確実と言われ、力も金も女も持つウォーレンの憧れの存在だったが、足を止めて正面から打ち合うスタイルを好んでいたためにパンチドランカーとなってしまい、全盛期に唐突に引退。様々な記憶と共にやがて財産も友人も失い、ウォーレンが引き取って生活の面倒を見ていた。ウォーレンが世界王者になったことを覚えておらず、試合の度に王座初挑戦だと思いこんで応援している。ウォーレンが田島に敗北した光景を目の当たりにした際は呆然としていた。
; デビル塚山(デビル つかやま)
: 元中量級世界王者。十兵衛・金田戦の前座で高野と戦いハイキック一発でKOされ、更に控室で石橋に叩きのめされた。その後十兵衛の差し金で、陰陽トーナメントに臨む石橋のセコンドに就いたが、記者会見場で高野から石橋の敗北を聞かされると会場を後にした。
: ボクシングに対するその考え方・姿勢を石橋に強く非難されている。
 
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: 本名・武田康隆。ミオスタチン関連筋肉肥大による栄養失調で命を落としかけていたが、武林製薬の創業家一族の生まれであったため、適切な処置を受けることができた。実家には山本陸が倒したという熊の剥製が飾られており、幼少時は山本への憧れが強かった。
; 下総 五郎(しもうさ ごろう)
: 金隆山の師匠。現役時代の最高位は十両。弟子である金隆山にも敬語を使うなど、気弱な性格をしている。金隆山の大ファンの息子がいる。
: 最強にかける金隆山の思いを理解し、陰陽トーナメントに出場を決めた金隆山を支援するべく、兄である日本相撲連合会理事長と共に関係各所への説得に奔走し、連合会としての金隆山のトーナメント出場と正式な全面支援を認めさせた。トーナメントでは金隆山のセコンドを務める。
: 雑誌掲載時には[[吃音症|吃音癖]]が見られたが、単行本では修正されている。
 
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; {{Anchor|三代川 祐介}}(みよかわ ゆうすけ)
: 召琳寺拳法家。段位は六段。
: 幼少期は死んだ父・清太と同じ心臓の病を抱えていたが手術で回復、その後、開祖の高弟だった祖父から召琳寺拳法を習っていた。しかし小学生の頃に同級生に冷やかされたことで召琳寺拳法をやめてしまい、次第に部屋に引きこもるようになってゆく。中学3年生の時に祖父が癌で他界、葬儀後に読んだ祖父の日記から、祐介の心臓病回復の願掛けとして今後一切薬を飲まないと誓ったことや、最期まで祐介が立ち直ると信じていたことを知り、自責の念に駆られて奮起。祖父の知り合いの召琳寺拳法家を尋ね、以来15年間修業を続けてきた。
: [[多重人格]]と言われており、祖父から教わった[[般若心経]]を唱えることで人格が入れ替わる。三代川裕介としては極端に高い技量は持っていないが、陰陽トーナメントの出場権を懸けた同門の五味勘助との試合で現れた一人目の人格「清太」は、それまで一方的に祐介を殴り続けていた五味を仏骨投げからの足刀踏みつけで簡単に倒している。
; 五味 勘助(ごみ かんすけ)
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; 手前 ビクトリア(てまえ ビクトリア)
: 十兵衛の同級生。オルテガ(手前浩哉)の義妹。ハーフなのにブサイクで、腋から悪臭を放っている。
: 十兵衛の計略で高野照久に好かれていると誤解し、半ば強引に高野照久の童貞を奪って高野の彼女を名乗り、その後も高野との交際を続けている。マッシュによると、母親は綺麗らしい。暴力は苦手。
; 多江山 里(たえやま さと)
: 行座宇都宮高校の教育実習生。世界で2番目の下げマンで、陰獣と呼ばれている。極度の近眼。
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; ガイア / 品川章二(しながわ しょうじ)
: 万引き少女の汚名を着せられた萌を私刑にすべく佐藤家を訪れたAちゃんねらーの三人組、通称「白い三連星」のリーダー格。坊主頭で眼鏡をかけている。中2の頃から学校を休み、友達も彼女も作らずにちゃんねるA三昧だった。
: マッシュとオルテガが逮捕され、最後の武力行使も萌に通用しなかったことから佐藤家を逃げ出した後その後自宅の住所を萌に突きとめられちゃんねるAに公開されてしまった。その後の動向は不明
; マッシュ / 折野仙蔵(おりの せんぞう)
: 白い三連星の一人。57歳の[[引きこもり]]。ビクトリアの母とお見合いをしたことがある。かつてちゃんねるAで釣神様と呼ばれていた。