「FNハースタル」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
→歴史: 内容修正 タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
Yuki Hirata (会話 | 投稿記録) →歴史: タイプミスを修正, 文法を修正 タグ: モバイルアプリ編集 |
||
68行目:
[[イギリス]]などから反対されていたにも関わらず、7.62mm口径をNATO弾に制定したアメリカは、[[1960年代]]半ばに5.56mm口径を、大胆にもNATO弾へと制定した。そのため、[[1977年]]~[[1979年]]にかけ、NATO諸国は5.56mm弾の比較テストを行い、その結果、FN社の開発した[[5.56mm NATO弾|SS109弾]]をNATO弾に制定することとした。これに合わせ、FN社は5.56mm口径のアサルトライフル、「[[FN CAL|CAL(軽オートマチック・カービン)]]」を開発した。しかし、アメリカ製[[M16自動小銃|M16]]ライフルへの対抗意識で、ヴェルヴィエら開発陣営はCALの開発を早めたため、設計を十分に練る事が出来なかった。そのことがCALの信頼性不足や短命さにつながってしまい、CALはFALの様な成功をおさめる事は出来なかった。CALの失敗が明らかとなった[[1970年代]]半ばに、CALを簡略化した「[[FN FNC]]」の開発を開始。[[1979年]]に生産に入るが、そのころにはどの国もアメリカのM16シリーズを採用、もしくは自国で5.56mm口径ライフルを開発していた他、当時の流行に反した堅実すぎる仕様等が原因でFNCは自国と[[スウェーデン軍]]、[[インドネシア軍]]の3カ国でしか採用されなかった。FNCはCAL同様FALの様な成功をおさめることが出来ず、FN社は5.56mm口径軍用銃開発の波に乗り損ねてしまった。しかし、5.56mm口径の「[[ミニミ軽機関銃]]」を開発し、アメリカ、日本など10カ国で以上で採用され、じゅうしん
5.56mm銃身が真っ赤になるほど撃っても問題なく撃てる
[[1970年代]]はヒット銃器メーカーの一員であったFN社は、1980年代に入ってからの相次ぐ企画倒れに低迷を続け、それに止めを刺すように[[冷戦]]終結の近づきによる軍需低迷も加わり、FN社の業績は大きく低下した。[[1986年]]、FN社は[[ブローニング・アームズ]]社を傘下に収める。そのブローニング社は、[[1989年]]に[[ウィンチェスター・リピーティングアームズ|U.S.リピーティング・アームズ社]](商標:ウィンチェスター)を買収した。これらアメリカを代表する銃器メーカーを買収したFN社は、同業社の買収のほかにも[[スポーツ器具|スポーツ用品]]市場にも進出し多角化を図るも、それが裏目にでる結果となり、負債を増加させ、さらなる経営圧迫を招いてしまう。[[1991年]]、ついにFN社はフランスの防衛グループ企業GIAT(現 [[ネクスター]])傘下に入り、'''FNハースタル'''(FN Herstal)と社名を変更、GIAT社はFN社とその傘下企業をハースタル・グループへと再編した。
|