削除された内容 追加された内容
Ksodi (会話 | 投稿記録)
Ksodi (会話) による ID:59672857 の版を取り消し
Ksodi (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
15行目:
 
概念は[[人間]]の[[精神]]に存在する'''何か'''であり、[[抽象的]]、[[普遍的]]なものである。精神外部の世界に存在するものや、出来事や、それらの関係について'''概念'''が存在する。ひとつの'''概念'''は個々の事物というよりも、事物の集合に対して存在する。
 
という説明がなされることがあるが、「精神」いう曖昧な言葉によって説明をするのは適切とは言えない。仮に精神という語が「自発的に活動をする何か」だとすると、例えば『[[光合成]]は[[植物]]の精神に存在する何かであり[[栄養]]生産的なものである』と言うのと変わらないであろう。そのような意味で、植物や[[無機物]]に「精神が無い」と客観的に証明するのは不可能であるから。一方で自発的に行為を産み出す「何か」を問題にせず、単にそれに情報を与える機能、つまり認識作用は確実に存在し、実際に人間の活動はその前提の下で行われているのだから、むしろ概念は「認識作用の一つであり、人間のみが持つ抽象的認識作用」と考えるのが適当であろう。同様に、上記の説明にある「精神外部の世界」というのは何を意味しているのか不明である。仮に精神を認識作用という意味で用いているのであれば、認識作用を超えたものを認識できるのいうのは不可能であるから。さらに、「概念は個々の事物というよりも、事物の集合に対して存在する。」という説明は、概念が先にそれだけで存在するかのような誤解を招くが、実際には知覚に現れる対象が先にあり、我々は後から概念をその事物からいわば抽出している。例えば「動物」という動物は存在せず、実際に視覚や聴覚に現れて直接に認識できる[[馬]]や[[豚]]が先にあって、後から我々が抽象的に「動物」という、直接的な知覚とは別種の抽象概念を作り出す。
 
概念は、個々の物事の細かな相違点を無視して、それらが同一であるかのように扱うという意味で抽象的である。概念は、(それが表す)個々の事物すべてに当てはまるという点で普遍的である。