「アレクサンダル1世 (ユーゴスラビア王)」の版間の差分

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=== 暗殺 ===
{{Main|{{仮リンク|アレクサンダル1世とルイ・バルトゥー暗殺事件|frmk|AssassinatМарсејски du roi Alexandre Ier et de Louis Barthouатентат}}}}
 
[[1934年]][[10月9日]]、[[マルセイユ]]を訪問したアレクサンダル1世は[[フランス第三共和政|フランス]]外相[[ルイ・バルトゥー]]と面会したが、この場に潜伏していた狙撃手{{仮リンク|ヴラド・チェルノセムスキー|en|Vlado Chernozemski}}により、バルトゥーと共に乗車していた車内で暗殺されてしまった(犯人のチェルノセムスキーはその場で警官に射殺されたが、バルトゥーは警官の流れ弾で重傷を負い、手当てが遅れたために命を落とした)。この犯行の黒幕はクロアチアの[[民族主義]]団体[[ウスタシャ]]であったとも、ヴァルダル・マケドニア(後の[[マケドニア共和国]])の[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア]]への帰属を求める[[ブルガリア]]・[[マケドニア]]の民族主義団体[[内部マケドニア革命組織]]のあったとも言われるが(あるいはその両方の関与という説も)、真相は現在でも不明である。