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'''物部 小事'''(もののべ の おごと、[[生没年不詳]])は、6世紀前期([[仁賢天皇|仁賢]] - [[安閑天皇|安閑]]期)の[[豪族]]。[[物部氏]]十二世([[ニギハヤヒ|饒速日命]]十二世の孫)。父は[[物部布都久留]](ふつくる)。兄に[[物部木蓮子|木蓮子]](いたび)、弟に[[物部多波|多波]]、子に大国などがいる。
 
『[[先代旧事本紀]]』「天孫本紀」は、[[ウマシマジ|宇摩志麻治命]]12世の孫で、志陀連、柴垣連、田井連らの祖とする。このうち志陀連を、志太連あるいは信太連とみて、『[[常陸国風土記]]』にある[[常陸国]][[信太郡]]の建郡にかかわった物部河内・物部会津や、『[[続日本紀]]』[[延暦]]5年([[786年]])[[10月21日 (旧暦)|10月21日]]条で[[外位|外]][[従五位下]]の[[位階]]を授かった常陸国信太郡[[大領]]の物部志太連大成などを小事の子孫とみる説もある。また、『[[続日本後紀]]』には、[[坂東]]を征し、その功勳により[[下総国]]に匝瑳郡(現在の[[千葉県]][[匝瑳郡]])が建郡された。物部信太氏(物部信太連)・とし、物部匝瑳氏(物部匝瑳連・物部匝瑳宿禰・匝瑳宿禰などの祖とされする記事がある<ref>『[[続日本後紀]]』[[承和 (日本)|承和]]2年([[835年]])[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]条、物部匝瑳熊猪の改姓記事中に、「昔、物部小事大連、節ヲ天朝ニ錫シ、出デテ坂東ヲ征ス。凱歌帰報。此ノ功勳ニ籍リテ下總國ニ始メテ匝瑳郡ヲ建テ、仍テ以テ氏トナスコトヲ得シム。是レ即チ熊猪等ノ祖也。」とある。</ref>。物部匝瑳氏は[[鎮守府 (古代)|鎮守府]]の高官を輩出し、[[物部匝瑳足継|足継]]・[[物部匝瑳熊猪|熊猪]]・末守が[[鎮守府将軍|鎮守将軍]]に任ぜられている。
 
このため、信太連(志陀連・志太連)の常陸国信太郡と匝瑳連の下総国匝瑳郡にはさまれた下総国[[香取郡]]や[[香取神宮]]と小事の関係も説かれ、現在の[[匝瑳市]]にある[[老尾神社]]の祭神<ref>一般には、老尾神社の祭神は、香取神宮の祭神[[経津主命]]の御子神、阿佐比古命とされている。</ref>を小事とし、香取神宮の[[禰宜|大禰宜]]の香取連を物部氏とする説もある。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* 谷川健一『日本の神々-神社と聖地 11』 白水社、2000年、ISBN 4-560-02511-8、265-267頁
 
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