「水道哲学」の版間の差分

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'''水道哲学'''(すいどうてつがく)は、[[松下幸之助]]の語録に基づく経営哲学である。[[幼少期]]に赤貧にあえいだ幸之助が、[[水道]]の[[]]のように低価格で良質なものを大量供給することにより、[[物価]]を低廉にし[[消費者]]の手に容易に行き渡るようにしようという思想(経営哲学)である。
 
== 概説 ==
[[1932年]]([[昭和]]7年)5月5日、大阪[[堂島]]の中央電気倶楽部で開催された松下電器製作所(当時)の第1回創業記念式での社主告示において、松下曰く、
 
{{Squote|産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、乞食が公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る。}}
 
とあり、物資を潤沢に供給することにより、物価を低廉にし消費者の手に容易に行き渡るようにしようという思想である。
 
== 解釈 ==
{{出典の明記|date=2014年11月|section=1}}
物資を潤沢に供給し、水道の水のように廉価に、というのは例えに充てる水道が廉価に過ぎて誤解を招きかねない。しかし水道の水とは言わずとも、市井の普通の人々の手の届く価格にすることで普及を図るという考え方自体は妥当である。登場当初は高価で一部の家庭にしかなかった[[家電]]製品が、価格の低下とともに普及を見て、遂には家庭に存在しないことのほうが珍しいという程に広まった様子は、正に水道哲学の賜物であるといえる。他にも、[[自家用車]]や[[パソコン]]・[[携帯電話]]・[[ゲーム機]]などの普及も、同様の例として挙げることができる。
 
世界的にはフォード1世の経営哲学「フォーディズム」と呼ばれる経営戦略で、自動車のように 設計開発に費用が掛かる商品は、普及初期には 単一品種を・大量生産・大量販売してこそ単価が下がって普及するのに、当時の自動車メーカーは現代におけるスーパーカーのメーカーのように金持ち相手の少量生産工芸品」を多品種少量生産していたために「開発費だおれ」になって自動車価格が下がらず、普及を妨げていた。しかし、現在のフェラーリ社とフォード社の株式時価総額を比較すればわかるように、庶民大衆のほうが富裕層より圧倒的に数が多く、大衆車のほうが高級車より潜在市場規模が大きい
物資を潤沢に供給し、水道の水のように廉価に、というのは例えに充てる水道が廉価に過ぎて誤解を招きかねない。
 
しかし水道の水とは言わずとも、市井の普通の人々の手の届く価格にすることで普及を図るという考え方自体は妥当である。登場当初は高価で一部の家庭にしかなかった[[家電]]製品が、価格の低下とともに普及を見て、遂には家庭に存在しないことのほうが珍しいという程に広まった様子は、正に水道哲学の賜物であるといえる。他にも、[[自家用車]]や[[パソコン]]・[[携帯電話]]・[[ゲーム機]]などの普及も、同様の例として挙げることができる。
 
世界的にはフォード1世の経営哲学「フォーディズム」と呼ばれる経営戦略で、自動車のように 設計開発に費用が掛かる商品は、普及初期には 単一品種を・大量生産・大量販売してこそ単価が下がって普及するのに、当時の自動車メーカーは、現代におけるスーパーカーのメーカーのように「金持ち相手の少量生産工芸品」を多品種少量生産していたために、「開発費だおれ」になって自動車価格が下がらず、普及を妨げていた。
 
しかし、現在のフェラーリ社とフォード社の株式時価総額を比較すればわかるように、庶民大衆のほうが、富裕層より圧倒的に数が多く、大衆車のほうが高級車より潜在市場規模が大きい。
 
そこで、フォード1世はベルトコンベア大量生産方式を発明し、分業によって未熟練工でも自動車を作れるようにしたうえで、[[フォード・モデルT]]を 単一車種・大量生産し、自動車を安く量産して、自動車を「富裕層の玩具」から「馬車に代わる大衆の足」に育成し、自動車を普及・大衆化し、大量の雇用創出で米国社会に貢献しながら、フォード社を巨大企業に育てあげた。
 
松下幸之助の水道理論は、まさに日本におけるフォーデイズムの実践であり、Panasonicブランドで知られる[[松下電器産業]]が巨大企業になる礎石となった。
 
しかし近年においては、日本の電機産業は、企業用の超高額事務機械であったコンピューターの大衆化で、パソコン・スマートフォンなど「コンピューターの大衆化・世界大衆へのコンピューター普及のパイオニア役」を悉く米国企業に奪われ、再生可能エネルギーのパワーコンディショナーや太陽電池でも、「単一品種・量産・量販」ではなく、新自由主義の弊害で「企業乱立・重複開発・多品種・少量生産」で「開発費倒れ」をまねき、[[固定価格買取制度]]によって「安くない、ユーザーメリットのない商品を補助金漬けで販売」しており、[[官僚化]]、[[新自由主義]]による松下水道哲学からの劣化が指摘されている。
 
なお、ユニクロや牛丼などは、販売面ではフォーデイズムの実践、大衆市場重視の成功といえるが、生産面では フォード1世のベルトコンベアシステムのような「創意工夫によるコストダウン」は怠り、安直に円高相場に依存して輸入した結果、雇用とGDPGDPの海外流失を招いており、「国産で安く作る工夫」が 円の貨幣バブルの終焉の兆しとともに求められ始めている。
 
== 外部リンク ==
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[[Category:経済思想]]
[[Category:パナソニックグループ]]