「反共主義」の版間の差分

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=== アナキズム ===
多くの[[アナキズム|アナキスト]]は[[権威主義]]的な共産主義('''C'''ommunism)を批判し、彼ら自身を共産主義者と記述する際には「'''c'''ommunists」([[:en:Anarchist communism|en]])と[[小文字]]で書いている。彼らは[[プロレタリア独裁]]や[[生産手段]]の[[国有化]]などのマルクス主義の概念を、アナキズムには受け入れられないと主張している<ref>西村たすく著『無政府主義ってなんですか?: 現代によみがえる『無政府主義読本』』ノラネコの知恵文庫、2016年</ref>。いくつかのアナキストは共産主義を、[[個人主義]]または[[無政府資本主義]]の観点から批判している。
 
アナキストの[[ミハイル・バクーニン]]は[[第一インターナショナル]]で[[カール・マルクス]]と論争し、マルクス主義者の国家はもう1つの抑圧の体制であると批判した<ref>[http://dwardmac.pitzer.edu:16080/Anarchist_Archives/bakunin/Bakuninarchive.html Texts by Bakunin at Anarchy Archives]; [http://dwardmac.pitzer.edu:16080/Anarchist_Archives/bakunin/Bakuninarchive.html Texts by Marx on Bakunin at Marxist Internet Archive]</ref>。彼は、大衆を上位から統治する[[前衛党]]の概念を嫌った。アナキストは当初は[[2月革命 (1917年)|二月革命]]を、労働者が彼ら自身の権力を獲得した例であるとして参加して喜んだ。しかし[[十月革命]]の後、[[ボリシェヴィキ]]とアナキストが非常に異なった理念を持っていた事が明白となった。アナキストの[[エマ・ゴールドマン]]は、[[1919年]]に[[アメリカ合衆国]]からロシアへ追放され、当初は革命に熱中したが、ひどく失望して著作「ロシアでの私の失望」([[:en:My Disillusionment in Russia]])を書き始めた。アナキストの[[ピョートル・クロポトキン]]は[[1920年]]の[[ウラジーミル・レーニン]]への手紙の中で「([[一党独裁]])は、新しい社会主義体制を構築するためには断じて有害である。必要なのは地方権力による地方建設である ... ロシアは名前だけがソビエト共和国に変わった」と書き、新興のボリシェヴィキ官僚への痛烈な批判を提示した。