「長義和」の版間の差分

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== エピソード ==
*[[中野浩一]]の[[世界自転車選手権]]10連覇は[[ステート・アマ]]と言われた[[東ヨーロッパ|東欧]]勢が参加できないことによるところが大きいといわれているが、当時の自転車関係者の間では、中野の敵はもっと身近なところにいると言われたのが長であり、仮に長がモントリオールオリンピック後に競輪界入りしていたならば、中野の連覇記録は10も行っていないだろうという声が一部にある。参考までに、[[日本サイクルスポーツセンター]]で世界選手権に参戦する前の中野と5回程、スプリントで非公式対戦しているが、全て長が勝っている<ref>日刊ゲンダイ2012年5月29日付(28日発行)の13ページ、『あの人は今こうしている 自転車競技で活躍した長義和さん』</ref>。
*中野と同じく「[[長澤義明|ナガサワ]]」のフレームを使用していた。
*長が辞退した競輪学校第41期には、後に中野、[[滝澤正光]]と並び競輪界の三強を形成することになる[[井上茂徳]]がいた。