「選帝侯」の版間の差分

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==== 聖界諸侯 ====
;[[マインツ大司教]]→[[カール・テオドール・フォン・ダールベルク|レーゲンスブルク大司教]]
:ドイツ[[ドイツの首相#呼称と歴史|における大書記官長]]。[[1356年]]の[[金印勅書]]で皇帝選挙の主催者とされ、選帝侯の筆頭に位置づけられると、以後 Erzkanzler durch Germanien は「ドイツにおける大書記官長」から「[[ドイツの首相#呼称と歴史|神聖ローマ帝国の宰相]]」を指す語となった。[[1803年]]にレーゲンスブルク大司教と改称。
;[[トリーア大司教|トリーア(トリール、トリエル)大司教]]
:ガリア及びブルゴーニュグントにおける大書記官長。[[1801年]]、[[ライン川|ライン]]左岸の[[フランス]]([[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]])への割譲により選挙権を失う。
;[[ケルン大司教]]
:イタリアにおける大書記官長。[[15世紀]]までは、選出された国王を[[アーヘン]]で戴冠するのはケルン大司教の職務であっが、15世紀以降マインツ大司教が戴冠するようになった。1801年、ライン左岸のフランス(ナポレオン)への割譲により選挙権を失う。[[1583年]]から[[1761年]]までバイエルン系ヴィッテルスバッハ家が大司教位を独占。[[選帝侯ソナタ]]は少年時代の[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]が作曲し、当時のケルン大司教に献呈したことからこの名で通称される。
 
==== 世俗諸侯 ====