「ラス・タンブリン」の版間の差分

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== 来歴 ==
[[1934年]]に[[ロサンゼルス]]で[[ヴォードヴィリアン]]の{{仮リンク|エディー・タンブリン{{enlink|en|Eddie Tamblyn}}の息子として生まれ、6歳からダンスや[[アクロバット]]を習い始める。
 
10歳の時に俳優[[ロイド・ブリッジス]]に見出されたことがきっかけとなり、[[1948年]]の映画『[[{{仮リンク|緑色の髪の少年]]|en|The Boy with Green Hair}}』の端役で[[ハリウッド]]デビューする。その後[[MGM]]と契約、子役・若手俳優として人気を集める。
 
[[1954年]]に出演した『[[掠奪された七人の花嫁]]』でダンスのダイナミズムに注目される。
 
[[1956年]]に行なわれた[[:en:13th Golden Globe Awards|第13回ゴールデングローブ賞]]で新人男優賞を受賞([[{{仮リンク|レイ・ダントン]]|en|Ray Danton}}と同時受賞)。
 
[[1957年]]の映画『[[{{仮リンク|青春物語]]|en|Peyton Place (film)}}』で[[第30回アカデミー賞]]の[[アカデミー助演男優賞|助演男優賞]]にノミネートされる。1961年には『[[ウエスト・サイド物語 (映画)|ウエスト・サイド物語]]』でジェット団のリーダー・リフ役を演じている。
 
[[1966年]]公開の日米合作映画『[[フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ]]』で科学者のポール・スチュワートを演じたものの、定時の撮影後は共に来日した妻とホテルへ直帰し、食事の交歓の誘いも一切断るなど、前年公開の『[[フランケンシュタイン対地底怪獣]]』などに出演した[[ニック・アダムス]]がスタッフや俳優たちと積極的に交わり、溶け込もうとしたのとは対照的な態度をとった。撮影現場でもまったく演技を合わせようとせずしなかったため、[[土屋嘉男]]によれば、共演した[[水野久美]]はタンブリンの態度に怒って[[ヒステリー]]を起こしたこともあったという<ref>『[[怪獣大戦争]]』でのDVDオーディオコメンタリーより。</ref>。ちなみに、このスチュワート役には当初[[タブ・ハンター]]が予定されていた<ref>{{Cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0060440/trivia|title=The War of the Gargantuas (1968) - Trivia|publisher=[[IMDb]]|language=英語|accessdate=2012-08-17}}</ref>。2014年にハリウッドのイベント「{{仮リンク|Monsterpaloozaモンスターパルーザ|en|Monsterpalooza}}でタンブリンと再会した[[佐原健二]]は友好的に会話し、同じ作品に出演した同志であることを感じた旨を語っている<ref>{{Cite journal |和書 |date =2016-03-13<!--奥付表記--> |title=祝・[[ガイラ]]生誕50周年!! [[佐原健二]] |publisher =[[洋泉社]] |journal =別冊[[映画秘宝]] 特撮秘宝 |volume =vol.3 |page=111 |isbn=978-4-8003-0865-8 }}</ref>。
 
=== 私生活 ===
女優の[[アンバー・タンブリン]]は3番目の妻[[ボニー・マレイ]]との間に生まれた娘である
 
== 主な出演作品 ==