「場の空気」の版間の差分

[[山本七平]]は、例として旧日本軍の対米開戦、[[大和 (戦艦)|戦艦大和]]の[[沖縄県|沖縄]]出撃、[[日中国交回復]]、[[イタイイタイ病]]事件、自動車公害に関する世論等を挙げ、細かいデータおよび明確な根拠があるにもかかわらず、明確な根拠の全くない判断が「空気」によって最終的に決定されたと指摘している。この事象をもって、山本は「それ(空気)は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である」と述べた<ref>山本『「空気」の研究』(文庫版)、文藝春秋、1983年、ISBN 4167306034、p.16, 22。</ref>。
 
[[白田秀彰]]は、学校社会において空気の支配が蔓延していると指摘した。子供たちは場の空気に怯え、設定される[[キャラ (コミュニケーション)|キャラクター]]に戦々恐々としている。学生が新しい「場」に入ったときに、この「場」が強制してくるキャラクターを受け入れ、それを演じうることが「場の空気が読める」ということであり、場が設定したキャラクターを演じつづけられる限りは、彼はそれなりに人気を得たり、居場所を得ることができる<ref>白田秀彰の「インターネットの法と慣習」 意思主義とネット人格・キャラ選択時代:Hotwired [http://hotwired.goo.ne.jp/original/shirata/050607/02.html]</ref>。しかし、彼がこうしたキャラクターを演じるのを放棄した場合は、[[いじめ]]の標的になるか、逃避行動としての[[不登校]]を選ぶことが多い。最近では、日本の高校で[[電子メール]]をめぐる空気の支配が蔓延しており、絵文字がない、極端な短文、返信が少しでも遅いなどといったことがあると「キレてる」「空気が読めない」と思われるのだという。そのため、「そのような風潮になじめない人にとっては大学で初めて個人的自由が得られる」と指摘された。
 
[[劇作家]]の[[鴻上尚史]]は、[[著書]]「“世間”と“空気”」([[講談社]]現代新書)において、「日本人が、[[世間]]を喪失したのが大体[[バブル期]]だ。世間を喪失した現代人は、相手や周囲の顔色を見ながら言動の適否を判断せざるを得ない。空気しか知らない世代が、[[社会人]]になるのが心配だ」と述べている。具体例として、[[子役]]の[[オーディション]]で、[[1980年代]]前半までは、「君の[[クラス]]はどんなクラス?」と聞くことができたという。子供にとっての世間とは、クラスのことであった。しかし、1980年代後半以降、「君の[[グループ]]はどんなグループ?」と聞かざるを得なくなり、[[21世紀]]に入ってから、その傾向が強まっているとする。KYという語が、既に流行語ではなく、[[世相]]を反映した語だというのである。
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