「ルイ14世 (フランス王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
279行目:
ルイ14世時代の史料は膨大にあるが<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],pp.34</ref>、歴史家たちから頻繁に引用されてきたのが{{仮リンク|ルイ・ド・ルヴロワ・ド・サン=シモン|label=サン=シモン公|en|Louis de Rouvroy, duc de Saint-Simon}}の『回想録』である<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],pp.15-16.</ref>。サン=シモン公はルイ14世と同時代に生きた貴族で、ヴェルサイユ宮殿に居室を与えられて晩年のルイ14世に仕え、ルイ15世の治世初期には摂政諮問会議にも加わっている<ref name=Saint-Simon>{{cite web|title=サン=シモン - ヴェルサイユ宮殿|url=http://jp.chateauversailles.fr/index.php?option=com_cdvfiche&amp;idf=B06604BD-2F61-0B02-CF47-A610CF8F3722|publisher=ヴェルサイユ宮殿美術館国有地公団|author=|page=|accessdate=2013年2月11日}}</ref>。『回想録』で彼は宮廷の日常や政治事件について考察や批評を綴った。ときに辛辣な記述もあり、サン=シモン公はこの『回想録』の公刊を意図していなかったが、フランス革命後の1829年に後継者たちによって出版された<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.16,186.</ref><ref name=Saint-Simon/>。雑文家から優れた歴史家にまで利用されてきたサン=シモン公の『回想録』だが、必ずしも信用に足る内容ではないとの指摘もある<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.15.</ref>。
 
18世紀の[[啓蒙主義]]を代表する思想家の[[ヴォルテール]]は1751年に『ルイ14世の世紀』を公刊した。ヴォルテールは当時の政府に対する不満もあって、ルイ14世の偉業に魅せられた<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.185.</ref>。彼は歴史上の偉大な5人の人物に[[ペリクレス]]、[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]、[[ユリウス・カエサル|カエサル]]、[[ロレンツォ・デ・メディチ]]そしてルイ14世の名を挙げ、その中でもルイ14世をもっとも偉大な人物とし、彼の治世を「大世紀」(グラン・シクル)と称えた<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.185;[[#千葉 1982|千葉 1982]],p.10.</ref>。
 
フランス革命以降の19世紀は王を暴君と見なす世評が支配的となった。[[アンシャン・レジーム]]の煩瑣な宮廷生活は時代遅れな軽蔑されるべきものと見なされ、王への滑稽な追従話や愛人スキャンダルばかりが取り上げられた<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],pp.4-5.</ref>。歴史家たちはヴェルサイユ宮殿造営を浪費と捉え、財務卿フーケの処断やプロテスタント弾圧そして幾多の戦争は誤りであったと後知恵的解釈から批判した<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.5.</ref>。大著『フランス史』を著した歴史家[[ジュール・ミシュレ]]は特にプロテスタント迫害の非道さを克明に描写して非難しており<ref>[[#ミシュレ 2010|ミシュレ 2010]],pp.531-533.</ref>、この時代を来たる大革命への予兆としたが、その征服活動は評価している<ref name=Berce187>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.187.</ref>。1873年に発行された[[ピエール・ラルース]]の『汎用大事典』のルイ14世の評価は辛辣極まり、フランスに大災厄をもたらした戦争の動機はルイ14世の虚栄心・思い上がり・怨恨・私利私欲にあり、彼の政治・閨房・宗教・家族すべての決断の背後にあったのはエゴイズムであると断じている<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],pp.124-125.</ref>。共和主義歴史家のエルネスト・ラヴィスも20世紀初頭に出版された『起源から革命までのフランス史』のルイ14世の治世の個所で戦争と常軌を逸した浪費、財政制度の欠陥、ナント勅令の廃止を批判し、領土拡大は評価したが[[ベルギー]]併合に失敗したことを厳しく非難し、やはり[[フランス第一共和政|共和政]]への必要な過程としかとらえなかった<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],pp.149-152,187.</ref>。