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== 歴史 ==
金寨県の歷史は長く、五千年前の人類活動の跡が残っていた。史河流域では小磨盤山、黄泥灘、古仏堂等の七カ所の遺跡が発見された。[[堯]]の時代には[[皋陶]]封地といわれ、[[秦]]には九江郡に属した。境内には峠が多く、[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]にも常に重兵が駐在した。[[隋]]の初年には府兵戍守の要地であった。[[唐]]末年の[[黄巣]]農民軍の狗跡嶺も領内にあった。[[南宋]]から[[清]]の末年までも、領内には多くの[[反体制]]勢力が活動していた。1932年9月、[[中華民国国軍]]の[[衛立煌]]が域内の[[紅軍]]を駆逐したので、中華民国政府は[[安徽省]]、[[河南省]]、[[湖北省]]の境目にあるこの地域に「立煌県」を設立した。1947年9月、[[中国人民解放軍]]の[[劉伯承]]、[[鄧小平]]が軍を率い、立煌県城を落城させた。この後、「立煌県」は共産党治下の「金寨県」と改編された。
 
== 観光 ==