「トーネード IDS」の版間の差分
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'''トーネード IDS'''(Tornado IDS)は、[[イギリス]]、[[西ドイツ]](開発時)、[[イタリア]]で国際協同開発された全天候型多用途[[攻撃機]]([[マルチロール機]])である。
次世代機を共同開発する計画が[[ヨーロッパ]]諸国と[[カナダ]]の間で挙ったが、プロジェクトが本格的に実動する前にカナダ、[[ベルギー]]、[[オランダ]]が計画から脱退し、イギリス、西ドイツ、イタリアの3ヶ国で開発された。主に[[航空阻止]]を主任務とし、プロジェクトにより合理化され、[[要撃機|要撃]]、[[近接航空支援]]、艦艇攻撃、[[偵察]]などをこなすため多数の派生型が開発された。
実戦でもトーネードは[[湾岸戦争]]で最も危険な任務に従事し、入念な訓練や準備を重ねた作戦によって驚異的な戦果を挙げており、[[イラク戦争]]にも参加した。
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== 経緯 ==
[[西ヨーロッパ]]諸国の[[西ドイツ]](当時)、[[オランダ]]、[[ベルギー]]、[[イタリア]]は旧式化した[[F-104 (戦闘機)|F-104G スターファイター]]の後継機を選定しなければならなかった。その結果、[[1968年]]1月に共同開発を行うMRCA('''M'''ulti '''R'''ole '''C'''ombat '''A'''ircraft)の計画が挙がった。[[3月3日]]に合同作業チームが編成され、[[カナダ]]と[[イギリス]]も参加した。カナダ
[[3月26日]]にイギリスの[[ブリティッシュエアクラフトコーポレーション|BAC]]社、西ドイツの[[メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム|MBB]]社、オランダの[[フォッカー]]社、イタリアの[[フィアット]]社の4社は西ドイツに[[パナヴィア・エアクラフト]]('''Panavia Aircraft''')社を設立した。7月にはMRCA計画は6つの政府によって開始したものの、財政難を理由にベルギーとカナダが計画から脱退してしまった。後に[[ベルギー空軍]]は[[ジェネラル・ダイナミクス]]
[[File:Rolls Royce RB.199 2.jpg|thumb|250px|RB199 エンジン]]
[[File:Luftwaffe Goose Bay.jpg|thumb|250px|カナダの{{仮リンク|グースベイ航空基地|en|CFB Goose Bay}}に駐留するドイツ空軍のパナヴィア トーネード]]
[[1969年]]7月にオランダのフォッカー社が脱退したため、作業はイギリスと西ドイツが分割し、残りはイタリアが担当した。[[1970年]]には
イギリスは将来的に[[F-4 (戦闘機)|F-4 ファントム II]]に代わる[[要撃機|防空戦闘機]]としての能力も欲していたため、イギリスは西ドイツとイタリアと単座にするか複座にするかで対立し、軍の要望による[[ECM]]の装備で価格が予定よりも高くなり、製造されたRB199 エンジンの性能不足など細かなトラブルが起きたものの、イギリスは独自の派生型戦闘機の開発を行うなど後に問題は解決されていった。
試作機は
MRCA計画で必要となったのは、多種多様な兵装の装備を可能にすることであり、試作機はテスト飛行以外にもこれらの試験に使用された。試作機のP.06は[[マウザー BK-27]][[機関砲]]の搭載試験を行い、他の試作機もナビゲート・システム、操縦系統などの試験が行われた。しかし、こういったテストを繰り返していたこともあって、4名の殉職者と共に2機の試作機が事故で失われた。
[[1976年]]7月にイギリス空軍、西ドイツ空軍向けのバッチ1の生産が承諾され、トーネードは本格的に配備に向けて動き出した。[[垂直尾翼]]の付け根にある[[フェアリング]]の形状を変更した点と単純な試用改修を除けば、試作機から外見に目だった改良は行われていない。[[1979年]]にはイギリス向けの防空型('''Air Defence Variant''')、[[トーネード ADV]]の試作機が完成し、イギリス、西ドイツ、イタリアの[[三国共同トーネード訓練機関|三国共同訓練]]の覚書が署名された。[[1981年]]9月にはイタリア空軍向けのトーネードが生産された。
=== 湾岸戦争 ===
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