メインメニューを開く

差分

欧州石炭鉄鋼共同体

515 バイト追加, 2 年前
1957年の[[ローマ条約]]では[[欧州経済共同体]]と[[欧州原子力共同体]]が設立された。欧州石炭鉄鋼共同体は、これらと加盟国や一部の機関を共有した。1958年にアメリカ炭がダンピングをかけてきて、また1960年には世界の重油価格が1958年比で5/8程度に急落した。<ref>Michael T. Hatch, ''Politics and Nuclear Power: Energy Policy in Western Europe'', Lexington: University Press of Kentucky, p.196.</ref>
 
1967年、ローマ条約に鼎立した[[欧州諸共同体]]の運営機関が統一された。諸共同体は存置された。この後西ドイツは年率10%のペースで石油の消費量を増やし、天然ガスの使用量も倍増させ、原子力発電も実用化しだした<ref name=wise />。より具体的には、[[ジーメンス]]と[[AEG]]の共同子会社[[:de:Kraftwerk Union|KWU]] が、[[イングリッシュ・エレクトリック|AEI]]系7カ国コンソーシアムのTNPG と技術協定を結んだ。TNPG は既に[[ヒンクリー・ポイント原子力発電所#ヒンクリー・ポイントB|ヒンクリー・ポイントB]]を建設した実績があった。後に[[ハンターストン原子力発電所#B原発|ハンターストン原子力発電所B原発]]も建設する
 
これより先、欧州石炭の国際競争力は失墜した([[#成果と失敗]])。[[外資]]が投下され、金融面では[[銀行#銀証分離|ユニバーサル・バンク]]化が進んだ。[[ベルリンの壁崩壊]]翌年にドイツで[[固定価格買い取り制度]]が導入された。
匿名利用者