「近藤憲二」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Nobody515 (会話 | 投稿記録)
→‎生涯: サイト内リンク貼り
Nobody515 (会話 | 投稿記録)
→‎生涯: 誤字修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
4行目:
1895年2月22日、兵庫県氷上郡前山村に生まれる。兵庫県立柏原中学を卒業後、上京して早大政経科に入学。在学中の[[1914年]]、[[大杉栄]]の論文集『生の闘争』に感動し、大久保に大杉を訪ね同志に加わる。[[バクーニン]]主義をとる。[[1916年]]、[[荒畑寒村]]と『労組』を、続いて『青服』(囚人服の意)を発行する。1919年、大杉の『労働運動』同人となる。[[1920年]]、「[[日本社会主義同盟]]」準備会発起人となる。[[1921年]]、第2回メーデーで警察隊と激突、市ヶ谷刑務所に下獄。[[1923年]]、大杉の計画する全国アナキスト同盟結成を手伝い関西・九州をオルグにまわる。
 
大杉虐殺後は第4『労働運動』を興し、大杉と[[伊藤野枝]]の5人の遺児の世話を続ける。[[1926年]]1月、「黒連」に加わる。[[1927年]]1月、[[古川時雄]]らと第5次『労働運動』を雑誌形で発行。[[1928年]]3月、大杉の妹あやめと結婚するが、あやめは1年あまり後病死。[[1932年]]9月、『黒旗の下に』発行を助ける。[[1938年]]、[[堺真柄]]と再婚。
 
[[1946年]]5月、「アナ連」を結成し事務局代表となる。1969年8月6日、死去。享年74。