「終末論」の版間の差分

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キリスト教系[[新宗教]]の中には、「最後の審判」の時期を、聖書から年代や終末期に起こる出来事(しるし)などから算定し[[予言]]する教団もある。
 
キリスト教のこうした救済をテーマにした歴史観は、宗教以外の[[社会科学]]や[[自然科学]]にも影響を及ぼし、[[カール・マルクス]]の[[唯物史観]]や{{要出典範囲|[[チャールズ・ダーウィン]]の[[進化論]]にも|date=2010年10月}}、その影響の痕跡を見出すことができる。
 
ここで言うキリスト教とは{{要出典範囲|“一般に言われる、俗世間の”|date=2010年10月}}という但し書きのあるものである。[[新約聖書学]]などの研究で明確になってきたところでは、実際のイエスの教えでは「既に神の支配が始まっている=神の国が実現されつつある=終末が来ている」という認識であり、異なるので注意が必要である。この点でも[[ナザレのイエス|イエス]]は旧約聖書の預言者の教えとは異なり、神[[ヤハウェ]](ヤーウェ)の理解で画期的なものである。神学での「終末」には、個人的な救済の完成と、世界的な救済の完成の2つの意味が存在する。
 
[[20世紀]]の[[スイス]]の[[神学者]]・[[カール・バルト]]も、主著『ロマ書』で「(終末にキリストが地上の裁きのために天国から降りてくるという)再臨が『遅延する』ということについて…その内容から言っても少しも『現れる』はずのないものが、どうして遅延などするだろうか。…再臨が『遅延』しているのではなく、我々の覚醒(めざめ)が遅延しているのである」と言い、「終末は既に神によってもたらされている」という認識である。
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