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== 日本との関係 ==
清朝時代の満州は荒野が目立つ辺境の地であった。それは満州族の祖地であるため漢人の入植が制限されたからであり、近代にはロシアの極東進出にも晒されたからである。19世紀後半にはロシアの脅威を受け清朝が一転して植民を促したことで漢民族の人口は増加し土地が農耕によって開墾された。満州国統治時代になると、日本から資本が投下され鉄道や発電所など近代的なインフラが整備された。日本の傀儡政権とはいえ、安定と発展がもたらされた満州国には[[満蒙開拓団|日本人開拓団]]の植民はもちろん、当時内戦中だった中国本土からも多くの移民が流入した。その結果、人口が建国時の約3000万から約4500万に膨れ上がった。新京(長春)、奉天(瀋陽)、ハルビン、吉林、チチハルといった近代的な都市が形成された時期でもある。戦後、中華人民共和国の統治下に入った後は[[改革開放]]が始まるまで中国随一の工業地帯として同国の経済を支えた。
 
現在の日本とも関わりが深く、日本に居住する中国人の3割以上は東北部の出身である<ref>在留中国人の出身地は、遼寧省 (16%)、黒竜江省 (10.6%)、吉林省 (8.3%) の東北3省で約35%を占め、これに台湾を加えると4割を超える(2009年)[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5549?page=3 川嶋諭/ジャパンビジネスプレス2011.03.05掲載]</ref>。日本で学ぶ中国人留学生は、この地域の出身者が最も多い。中国の中では比較的親日的な地域とされており、日系企業の進出が多い地域の一つである。