「藤原佐理」の版間の差分
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[[草書]]の第一人者として評価が高く、流麗で躍動感のある彼の筆跡は「佐跡」と呼ばれ、[[小野道風]]・[[藤原行成]]とともに[[三跡]]の一人に数えられる。当時より能書家で知られ、[[円融天皇|円融]]・[[花山天皇|花山]]・[[一条天皇|一条]]の3天皇の[[大嘗会]]の[[屏風]]の[[色紙形]]の筆者を務めた。『参議要抄』には『佐理参議抄(佐理抄)』なる書が引用されており、[[小野宮流|小野宮家]]の一員らしく、故実についても一家言あったと思われる。
一方で[[酒]]を好み、いいかげんな性格だったようで『[[大鏡]]』は「如泥人」(泥のような者
== 真跡 ==
[[ファイル:Fujiwara no Sari letter.jpg|thumb|300px|書状(離洛帖)[[畠山記念館]]蔵、国宝]]
* 詩懐紙([[国宝]])[[香川県立ミュージアム]]蔵 - 「懐紙」とは書道用語では[[漢詩]]・[[和歌]]などを一定の書式に則って書写したもののこと。本作品は[[平安時代]]の詩懐紙として現存する唯一の貴重な作品。
* 書状(離洛帖)(国宝)[[畠山記念館]]蔵 - [[正暦]]2年([[991年]])に書かれた書状で、内容は佐理が[[大宰帥|大宰大弐]]に任命されて任地へ向かう旅の途上、[[長門国]][[赤間関]](現在の[[山口県]][[下関市]])で[[摂政]]の[[藤原道隆]]に対して赴任の[[挨拶]]を失念していたことを思い出し、妹の息子である[[藤原誠信]]に対して、道隆へのとりなしを依頼した詫び状。スピード感のある[[草書体]]を駆使した個性的な書風が特色である。
* 書状(恩命帖)- [[三の丸尚蔵館]]蔵 命じられた行事に使う矢の手配を忘れ、差し出した始末書。
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