「アイルランド共和国 (1919年-1922年)」の版間の差分

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独立宣言の発布と同日、ダン・ブリーンとショーン・トレシーにより指導されたアイルランド志願兵のテイペラリー州第三部隊の隊員が実行した[[ティペラリー州|ティペラリー]]ソロヘッドベッグでの奇襲で桜ダイナマイトの荷車の護衛をしていたアイルランド皇室警備隊の二人の隊員が殺害された。この奇襲は、アイルランドの下院による命令ではなかったが、これらの出来事の進行は下院をすぐに志願兵をアイルランド陸軍として認めるように動かした。そして、このようにソロヘッド事変は宣戦布告なしの志願兵と大英帝国の間のイギリスアイルランド戦争の幕開けとなった。
 
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国際的な認知を得るためのデ・ヴァレラ大統領のアメリカ合衆国での努力と共和国の大使のショーン・T・オ・ケリーの[[ヴェルサイユ講和会議]]での努力は、失敗に終わった。オ・ケリーは、すでに1919年4月にパリに大使館を設立していた。そして、ドクター.パトリック・マックカートンは同時期に[[ワシントンD.C.|ワシントンD.C]].に大使館を建てた。著名なアイルランド系アメリカ人からの重度な議会工作にも関わらず、[[ウッドロウ・ウィルソン|ウッドロウ・ウィルソン大統領]]は、英国に対し、敵対したくなかったので会議でアイルランドの件をあげることを拒否した。ついに6月に認知を求めるアイルランドの要求は影響なしで会議の議長の[[ジョルジュ・クレマンソー]]に伝わった。<ref>[http://difp.ie/viewdoc.asp?DocID=13 Demand for recognition, Paris 1919]</ref>