「スティーヴン・ジェイ・グールド」の版間の差分

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グールドによれば、最も彼に影響を与えた本は[[ライト・ミルズ]]の『パワーエリート』と[[ノーム・チョムスキー]]の政治書で、さらにグールドはアンティオーク・カレッジで1960年代の政治的に進歩的な学風の影響を受けた。1970年代にアカデミックな左翼主義の団体「人民のための科学」に参加した。彼はその経歴と執筆、講演を通して、あらゆる種類の文化的抑圧、特に彼が[[性差別]]や[[女性差別]]の助けとなる[[ニセ科学]]と見なしたものへの反対活動に影響を与えた。のちに[[ベトナム戦争]]が起きると反戦運動に積極的に参加した。行進に加わり、学生たちを援助した<ref name="GASPER">[http://socialistworker.org/2002-1/410/410_08_StephenJayGould.shtml ''A scientist of the people'' PHIL GASPER]</ref>。
 
アンティオック・カレッジを卒業後、[[コロンビア大学]]大学院へ進む。ここで総合説の創設者である[[テオドシウス・ドブジャンスキー]]、[[エルンスト・マイヤー]]、[[ジョージ・ゲイロード・シンプソン]]らの教えを受けた。1967年、博士号取得。 26歳で[[ハーバード大学]]助教授に就任。1973年、同大学教授(専門は[[比較動物学]])。1982年、ハーバード大学アリグザンダー・アガシ記念教授職、博物館古無脊椎動物学キュレーターを勤めた。
 
1982年に悪性の[[腹膜中皮腫]]と診断された。困難な二年の治療のあと、「メジアンは神のお告げじゃない」と題するコラムをディスカバー誌に発表した<ref>[http://www.cancer-patient.net/medoc/steve/median_not_msg.html 平均中央値は神のお告げじゃない]</ref>。これは多くのがん患者に読んでもらいたい珠玉の一編として知られている。(著作物『がんばれカミナリ竜』32章「メジアンはメッセージではない」を参照)。それは腹膜中皮腫を診断された人の診断後余命の中央値が8ヶ月である事を知った彼の反応について述べている<ref> {{cite journal | url = http://www.cancerguide.org/median_not_msg.html | title = The Median Isn't the Message | journal = [[Discover (magazine)|Discover]] | year = 1982 | accessdate = 2007-11-16| last = Gould | first = Stephen Jay}}</ref>。彼はこの数値の正しい意味を説明し、統計的な中央値は役立つ抽象概念であってあらゆるバリエーションを含むわけではないと理解することが慰めになったと明らかにする。中央値は中間点であり、それは50%50%の患者が8ヶ月以内に死亡することを意味するが、残りの半分はそれよりも長く(もしかすると非常に長く)生きる。それから彼は自分の状態がどのあたりにあるのかを知る必要があった。癌が早期に見つかり、彼が若く、楽観的で、できうる限りのベストな治療を受けたことを考えれば、グールドは自分がその統計的範囲の好ましい方にいるはずだと考えた。手術、放射線と化学療法を受けた後、グールドは完全に回復し、彼のエッセイは多くの癌患者の励ましとなった。
 
グールドは医療用[[マリファナ]]の使用を擁護している。癌治療の間、彼は化学療法の吐き気を軽減するためにマリファナを服用した。グールドによれば、彼の最終的な回復にマリファナは「非常に大きな役割」を果たした<ref>{{cite book |author=Bakalar, James B.; Grinspoon, Lester |title=Marihuana, the forbidden medicine |publisher=Yale University Press |location=New Haven, Conn |year=1997 |pages= |isbn=0-300-07086-1 |oclc= |doi=}} 39-41; available [http://www.stephenjaygould.org/library/gould_marijuana.html on-line].</ref>。1998年に[[カナダ]]の医療用マリファナの使用者で活動家であるジム・ウェイクフォードの裁判でグールドは証言した。
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|publisher = Antiochian
|accessdate = 2007-11-16
}}</ref>。[[コロンビア大学]]の大学院で[[ノーマン・ニューウェル]]の元で学び、1967年に大学院の卒業研究を終わらせるとすぐにハーバード大学に雇われ、生涯そこで働いた。1973年にハーバードは彼を[[地質学]]教授に命じ、比較動物学博物館の化石無脊椎動物の管理者に任命した。1982年にはアレクサンダー・アガシ動物学教授に任命した。1983年に[[アメリカ科学振興協会]]の会員となり、のちに(1999-2001)会長を務めた。「科学の発展と公共の科学理解の両方に貢献した」とAAASは発表した。1985-1986にはアメリカ地質学会の会長、1990-1991には進化研究学会の会長を務めた。 1996-2002年のあいだニューヨーク大学のヴィンセント・アスター客員研究教授を務めた。1986年に[[米国科学アカデミー|アメリカ科学アカデミー]]の会員に選ばれた。死後の2008年に[[ロンドン・リンネ学会]]から50年に一度贈られる[[ダーウィン=ウォレス・メダル]]の13人の受賞者の一人に選ばれた<ref>{{cite web | url=http://linnean.org/index.php?id=344l | title=The Darwin-Wallace Medal | accessdate=2008-07-19 | publisher= The Linnean Society of London}}</ref>。
 
== 業績 ==
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グールドは、複雑なものを複雑なまま説明することを得意とした。単純なものに置き換えて説明する還元主義を嫌い、進化の原理的な単位を遺伝子と見なす遺伝子選択説や、あるいは動物の形態や行動を適応的な視点から説明する主張とは激しく対立していった。
 
日本では、NHKの番組「生命」で取り上げられていた[[アノマロカリス]]”などの[[カンブリア紀]]の生物を紹介したベストセラー『ワンダフル・ライフ - バージェス頁岩と生物進化の物語』(早川書房)の作者として知られている。進化論を否定するアメリカの宗教的原理主義である「[[創造論]]」に対して一貫して反論しており、さらには、欧米一般にある優生思想と人種主義を批判し、いかに科学的に差別が行われたかを『人間の測りまちがい』(河出書房新社)で著している。
 
歴史家ロナルド・ナンバーズは「私はグールドの科学者としての長所をあまり挙げることはできないが、しかし、私は彼を長い間、[[トマス・クーン]]の次に偉大な科学史家だと考えていた」と述べた。[[CSI]]で共に活動していた[[マイケル・シャーマー]]は、グールドの科学史家、科学哲学者としての側面がもっと評価されるべきだと述べている<ref>{{cite journal | first = Michael | last = Shermer | year = 2002 | url = http://www.stephenjaygould.org/library/shermer_sjgould.pdf | format = pdf | title = This View of Science | journal = Social Studies of Science | volume = 32 | issue = 4 | pages = 518}}</ref>。
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グールドは多くの形質が'''副産物'''だと主張し、適応主義は適応でないものも適応だと考える恐れがあり「危険なうえに誤りだ」と述べた。そのたとえに挙げたのは扁桃腺である。扁桃腺はしばしば感染症によって摘出される。コスミデスは、「より危険なのは、機能仮説が考慮されないことだ」<ref>http://www.psych.ucsb.edu /research/cep /ledainterview.htm</ref>と述べ、扁桃腺の欠如が長期的に患者に与える影響を調べるには扁桃腺がどのような機能を持っているかを調査せねばならず、それはまさしく適応主義だと考えている。
 
「ある形質が何かの副産物だという仮説が支持されるためには、何か”が何かが示されなければならない」<ref>Tooby,Cosmides,1992</ref>。副産物説や外適応は適応主義と同じように厳密に科学的な検証を受けねばならないが、ジョン・トゥービーらはグールドは検証を行っていないと指摘している。またオルコックはグールドが適応万能論と呼んで社会生物学を批判するとき、具体的な適応万能論的仮説の例を挙げていないと指摘する。例外は[[E.O.ウィルソン]]と[[デイビッド・バラシュ]]である。しかしグールドの批判に反して、バラシュは自説を小規模ながら検証し、(予備実験であったので)検証の不十分さを認め、その後パーマーらが再検証していることを明らかにした。「バラシュが仮説を作りながら検証しなかったという批判は、誤解を招くというような生やさしいものではない<ref name="alcock" />」。
 
このような論争が社会生物学の悪用を掣肘し、適応主義を健全に強化し、それぞれの発展に繋がったと評価する人もいる<ref>『新版動物の社会』伊藤嘉昭</ref><ref>『社会生物学論争史』セーゲルストローレ</ref>。一方でオルコックやダーウィニアン精神科医マイケル・マクガイア、アルフォンソ・トロシーらは、社会生物学の発展に対して批判が十年以上も変わっていないことを指摘し、社会生物学の発展は通常の学問と同じように、内部の批判と競争によってなされたと述べた<ref>Michael McGuire and Alfonso Troisi ''DARWINIAN PSYCHIATRY'', 1998; Oxford University Press.</ref>。
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グー ルドは遺伝子選択に批判的であった。彼は個体選択を中心に、自然選択は [[遺伝子]]、[[細胞]]、[[個体]]、[[群れ]]、[[デーム]]、[[種]]、[[系統]]と階層構造を持っていると論じた。グールドはヘレナ・クローニンの『性選択と利他行動』の書評で「近年の[[性選択]]の再評価に社会生物学や遺伝子選択は何の関係もない」と述べた<ref>[The Confusion over Evolution http://www.nybooks.com/articles/article-preview?article_id=2745]</ref>。しかしマーチン・デイリーは性選択を扱った論文を調べ、9割以上が社会生物学と遺伝子選択の用語と理論で書かれていることを明らかにした<ref name="ulica">ウリカ・セーゲルストローレ『社会生物学論争史』</ref>。グールドは最後の著書では遺伝子はどんな意味でも選択の単位ではあり得ないと主張した。またグールドは[[群選択#マルチレベル選択|マルチレベル選択]]には好意的だった。しかしマルチレベル選択は情報としての遺伝子を想定する点で、遺伝子選択に近い概念である。
 
このようなことから、ドーキンスやウィリアムズは、グールドは祖先から子に伝えられる情報=論理的な単位としての遺伝子と、自然選択を受ける物理的な実体の区別が分からなかったのではないかと考えている。彼らによれば、物理的な実体としては[[DNA|DNA分子]]から、個体、群れまでが選択の単位となりうる。メイナード=スミスは「自然選択の単位であるには[[変異]]、[[DNA複製|複製]]、[[遺伝]]しなければならない。その条件を満たすのは遺伝子だ。個体は複製されない”」と述べた。デネットやセーゲルストローレ、ルースのような批評家はドーキンスなどの遺伝子選択論者が自然選択の実体として個体以外を検討するようになったのはグールドの影響かもしれないと指摘している。
 
グールドは遺伝子選択や社会生物学を[[還元主義]]だとして批判した。この場合、還元主義とは「個体はパーツや遺伝子の総体だと見なし、下位の構造だけを調べれば上位の構造を完全に理解できるという立場」である。ドーキンスや[[ダニエル・デネット]]はこれを「どん欲な(極端な)還元主義」であり、そのような論者はいないと指摘し、適切な還元主義を擁護した。グールドが実際に「還元主義」をどのような意味で批判していたかは明らかではない。グールドはより還元主義的な分子生物学を批判してはいなかったし([[中立説]]を自説に有利なものだと見なした)、彼の支持者には神経学者や集団遺伝学者など、還元主義的な分野の科学者が多かった。またグールドが用いている生命に対する説明は彼の反対者たちと同じように還元主義的である。セーゲルストローレは「おそらく遺伝子決定論と同じ意味で用いているのだろう」と述べている<ref name="ulica" />。
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グールドは自らを[[環境決定論]]者ではなく、遺伝子可能性論、生物学的潜在性論者と名乗った。「人間の特定の社会行動が遺伝的にコントロールされている直接の証拠は何かあるだろうか」「行動上の特定の性向に対して特定の遺伝子が対応するという遺伝的決定論の考え方に対して、何者にも対してもあらかじめ固定的に向けられてはいないのである<ref>『ダーウィン以来』p388</ref>」
 
オルコックは生物学的潜在性と環境決定論がどう違うのか説明していないと指摘する。またカール・デグラーは「(グールドは遺伝子は環境と相互作用すると認めるが)それでも同時に、彼は持続的に相互作用している要素のおのおのの役割の調査に抵抗する」<ref>Carl N. Degler ''In Search of Human Nature'', 1991</ref>と述べる。社会生物学における遺伝子”は集団遺伝学の遺伝子”であり、発生生物学における遺伝子”ではなかった。それは表現型に算術平均的な影響を与えると仮定されているのみで、個体に行動を促す直接要因には言及していなかった。彼の批判者たちは、グールドが発生遺伝学と集団遺伝学、直接要因と究極要因を混同していたと考えている。[[スティーブン・ピンカー]] は、彼に受け入れられる(人の振る舞いに対する)遺伝的影響はゼロのみであり、遺伝的影響の割合がゼロ以外であればそれは全て「遺伝子決定論なのだろう」と述べ、グールドが相互作用論者だと述べていながらも、実際には強い環境決定論者であったと考えている。遺伝子決定論という批判は彼に近い立場の人々からもしばしば「[[ストローマン|わら人形]]批判」であると見なされた<ref>Adam S. Wilkins, [http://www.stephenjaygould.org/library/wilkins_sjgould.pdf Stephen Jay Gould (1941–2002): A Critical Appreciation] , BioEssays 24 (2002): 863–864.</ref><ref name="ruse" />。
 
グールドは進化心理学に対して「進化適応環境の適応話の有効性を示すのに必要な重要な情報をどのように手に入れられるだろうか?......我々は祖先の環境を知ることはできない......進化心理学者によって提案される重要な仮説は試験できず、従って非科学である」と述べた(2000)。ロバート・カーズバンは次のように述べる。「進化心理学者は仮説を提案するために限られた過去の知識を用いる。しかしながら進化心理学者によって提案された仮説は、他の心理学的仮説と全く同じ手法で検証可能である。デイヴィッド・バスは進化理論に基づいて仮説を立て......37の文化からデータを集めて、そのデータの多くは彼の仮説を支持した。もしデータが違っていれば彼の仮説は棄却されただろう」<ref>[http://human-nature.com /nibbs /02/apd.html Robert Kurzban ''Alas Poor Evolutionary Psychology:Unfairly Accused, Unjustly Condemned'' Human Nature Review 2002 Volume 2: 99-109 ( 14 March )]</ref>。
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==著作物==
;『[[ワンダフルライフ (書籍)|ワンダフル・ライフ]]』(ハヤカワ文庫NF236) ISBN 4150502366
:代表作。20世紀初頭にロッキー山脈中で発見された5億年前の化石動物群についての古生物学研究を、一般向けに分かりやすく、魅力的に書いており、日米でベストセラーとなった。
;『人間の測りまちがい』(河出書房新社) ISBN 4309251072
:脳の容量も知能指数も、人間の知能を測る尺度とはなり得ないことを示した。
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; 『ぼくは上陸している』(上・下)(早川書房)ISBN 978-4-15-209231-1 ISBN 978-4-15-209232-8
:エッセイシリーズの最終集。原題は''I HAVE LANDED''
;『神と科学は共存できるか?』(日経BPBP社) ISBN 978-4-8222-4572-6
; ''The Structure of Evolutionary Theory''
 
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== 関連図書 ==
*ダニエル・C.C.デネット著 『ダーウィンの危険な思想』山口 泰司監訳 石川 幹人ほか訳 青土社 ISBN 4791758609
*リチャード・ドーキンス 『虹の解体』 福岡伸一訳 早川書房 ISBN 4152083417
*リチャード・ドーキンス 『悪魔に仕える牧師』 垂水祐二訳 早川書房 ISBN 4152085657
*キム・ステルレルニー 『ドーキンスvs.vs.グールド』狩野秀之訳 ちくま学芸文庫 ISBN 4480088784
*リチャード・ドーキンス 『神は妄想である』 垂水祐二訳 早川書房 ISBN 9784152088260