「ヴァイキング」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タイプミスを修正
タグ: モバイルアプリ編集
m 全角閉じダブルクォート「”」→全角開きダブルクォート「“」
6行目:
後の研究の進展により「その時代に[[スカンディナヴィア半島]]、バルト海沿岸に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。そういった観点からは、[[ノルマン人]]とも呼ばれる。[[中世]][[ヨーロッパ]]の[[歴史]]に大きな影響を残した。西洋生活様式と思想は、[[個人主義]]がヴァイキングのイデオロギーに影響を受ける。
 
ヴァイキングは[[海賊]]・[[交易]]・植民を繰り返す[[略奪]][[経済]]を生業としていたのではなく、[[ノルウェー]]の[[考古学者]]である[[トール・ヘイエルダール|ヘイエルダール]]が述べたように、故地においては[[農家|農民]]であり[[漁師|漁民]]であった。<!-- 以下の部分の出典は学術文献ではなく、リンク先にもそのような文言はないため、コメントアウトしました。1年間異論が出なければ削除します。 "特に手工業に秀でており、職人としての技量は同時代においては世界最高のレベルであった"<ref>http://www.history.com/topics/exploration/vikings-history</ref>-->
 
また、ヴァイキングたちの収益の大部分が交易によるものだったと言われている<ref>http://www.historyonthenet.com/vikings/vikings-as-traders.html</ref>。この事実から、ヴァイキングたちにとっても航海の主たる目的は交易であり、略奪の方がむしろ例外的なものだったと考えられる。金になる[[ブリテン諸島]]、[[イベリア半島]]、[[イタリア半島]]、[[バルカン半島]]、[[ヨーロッパロシア]]、スカンディナヴィア半島、[[北アフリカ]]、[[西アジア]]との交易路<ref>http://www.historyonthenet.com/vikings/vikings-as-traders.html</ref>。例えば[[ヴァリャーグからギリシャへの道]]で[[コンスタンティノープル]]との貿易、ヴァイキングの通商路である。
20行目:
 
==== キリスト教と宗教的対立 ====
ヴァイキング時代の始まりとされる[[リンデスファーン修道院|リンディスファーン]]の蹂躙は、[[カール大帝]]による[[ザクセン戦争 (カール大帝)|ザクセン戦争]]、すなわちキリスト教徒による異教徒に対する戦争と時期を同じくする。歴史家のRudolf SimekとBruno Dumézilはヴァイキングによる攻撃は同社会におけるキリスト教の広まりに対する反撃ではないかと位置付けている。Rudolf Simek教授は初期のヴァイキングの活動がカール大帝の統治時代と時を同じくするのは偶然ではない”と分析する。カール大帝はキリスト教を掲げ、侵攻と拡大を繰り返しており、スカンディナビアにおけるその脅威は想像できる。また、キリスト教の浸透はスカンディナヴィアにおいて問題化していて[[ノルウェー]]ではそれが原因で1世紀に渡り深刻な対立が生じていた。通商・貿易面では、スカンディナヴィア人はキリスト教徒による不平等な条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。名誉を重んじ、名誉が汚された場合は近隣を襲撃することを厭わない文化において、上記のような原因で外国を襲撃することは考えられる。
 
==== 技術的優位性からの富を求めた侵略 ====