「ドイツ陸軍 (国防軍)」の版間の差分

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'''ドイツ陸軍'''({{lang-de|Heer}})は、[[1935年]]から[[1945年]]までの期間に設置されていた'''[[ドイツ国防軍]]'''(Wehrmacht)の'''[[陸軍]]'''(Heer)である。
 
[[第二次世界大戦]]中に[[電撃戦]]や{{仮リンク|パックフロント|en|Pakfront}}、[[パンツァーカイル]]など多くの新[[戦術]]を生み出し、開戦時の緒戦では圧倒的優位にあったが、大戦後期には物量の差により連合軍に対して劣勢に立たされた。
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*兵力10万人まで、うち[[士官]]は4000人まで
 
また[[戦車]]の保有も禁止されていたが、戦車に関する研究は[[1920年代]]から続けられており、[[1931年]]から[[快速部隊兵監]](Inspekteur der Schnelltruppen)[[オスヴァルト・ルッツ]](Oswald Lutz)少将と[[ハインツ・グデーリアン]]中佐が中心となって、戦車部隊の運用研究に取り組んでいた。'''農業用トラクター'''の名目で[[1号戦車]]が開発され、製造業者に戦車の開発、量産のノウハウを習得させた。乗員は[[ソビエト連邦|ソ連]]との密約によりソ連の奥地[[カザン]]で養成されていた。1号戦車の正式発注はヒトラー政権の誕生した[[1933年]]であった。
 
[[1935年]]、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]はヴェルサイユ条約を破棄し、[[ドイツ再軍備宣言|再軍備を宣言]]、翌年には非武装地帯である[[フランス]]国境の[[ラインラント]]に軍を進めた([[ラインラント|ラインラント進駐]])。この時に英仏は戦争も辞さないとの確固たる態度をとらなかった。ヒトラーはこの時のことを「自分の一生の中で最も神経を痛めた」と、回想している。ドイツはこれ以降[[主権]]回復の要求をエスカレートさせる。
 
陸軍上層部には、プロイセン陸軍以来の貴族階級([[ユンカー]]:[[ドイツ騎士団]]の伝統を汲む地主の子弟)が多く、軍の地位が脅かされない限り、政治には中立的であった。しかし[[チェコスロバキア]]領内のドイツ人の多く居住する[[ズデーテンラント]]のドイツ帰属を巡ったヒトラーが戦争も辞せずと[[イギリス]]・フランスと対立した[[1938年]]に戦争準備が充分でないとする陸軍参謀総長[[ルートヴィヒ・ベック]]大将を中心とする政府転覆計画が練られたが、英仏の譲歩により計画実施には至らなかった。