「耳なし芳一」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 全角閉じダブルクォート「”」→全角開きダブルクォート「“」
2行目:
'''耳なし芳一'''(みみなしほういち)は、[[安徳天皇]]や[[平氏|平家]]一門を祀った[[阿弥陀]]寺(現在の[[赤間神宮]]、[[山口県]][[下関市]])を舞台とした物語、[[怪談]]。[[小泉八雲]]の『[[怪談 (小泉八雲)|怪談]]』にも取り上げられ、広く知られるようになる。
 
八雲が典拠としたのは、一夕散人(いっせきさんじん)著『臥遊奇談』第二巻「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」([[1782年]])であると指摘される<ref>{{cite book|ref=harv|last=Mori|first=Senzo(森銑三)|title=森銑三著作集: 続編|volume=11|publisher=中央公論社|year=1994|format=snippet|url=http://books.google.co.jp/books?id=Ak8zAQAAIAAJ|isbn=ISBN978-4-12-403084-6}}</ref><ref>{{citation|last=Miyata|first=Nao(宮田尚)|title=“芳一ばなし”から「耳なし芳一のはなし」へ(From the Original Japanese Stories of ”Hoichi”“Hoichi” to Hearn's English Adaptation “The Story of Mimi-nashi-Hoichi”)|journal=梅光学院大学・女子短期大学部 論集|volume=39|year=2006|pages-13-22|format=pdf|url=http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/file/666/20091021213049/BG80039000010.pdff}} [http://ypir.lib.yamaguchi-u.ac.jp/bg/Detail.e?id=66620091021213049 山口県大学共同リポジトリ]</ref>。
 
『臥遊奇談』でも琵琶師の名は芳一であり、背景舞台は長州の[[赤間関]]、阿弥陀寺とある。これは現今の下関市、[[赤間神社]]のことと特定できる。
18行目:
[[和尚]]は目の悪い芳一が夜出かけていく事に気付いて不審に思い、寺男たちに後を付けさせた。すると芳一は一人、平家一門の[[墓地]]の中におり、平家が推戴していた[[安徳天皇]]の墓前で無数の[[鬼火]]に囲まれて琵琶を弾き語っていた。寺の者たちは慌てて芳一を連れ帰り、和尚に問い詰められた芳一はとうとう事情を打ち明けた。和尚は怨霊たちが単に芳一の琵琶を聞くことだけでは満足せずに、芳一に危害を加えることを恐れ、これは危ない、このままでは芳一が平家の[[怨霊]]に殺されてしまうと和尚は案じた。和尚は自分がそばにいれば芳一を守ってやれると考えたが、生憎夜は[[法事]]で芳一のそばについていてやることが出来ない。かといって寺男や小僧では力不足である。芳一を法事の席に連れていっては大勢の怨霊をもその席に連れて行ってしまうことになりこれでは檀家との間にトラブルを発生させる危険性がある。そこで和尚は芳一を一人にするが怨霊と接触させない方法を採用することで芳一を守ることにした。和尚は怨霊の「お経が書かれている身体部分は透明に映り視認できない」という視覚能力の性質を知っていたので、怨霊が芳一を確認できないように法事寺の小僧と共に芳一の全身に[[般若心経]]を写した。ただしこのとき耳の部分に写経し忘れたことに気が付かなかった。また音声によって場所を特定されることを防ぐために芳一に怨霊の武士に声をかけられても無視するように堅く言い含めた。
 
その夜、芳一が一人で座っていると、いつものように武士(平家の怨霊)が芳一を迎えに来た。しかし経文の書かれた芳一の体は怨霊である武士には見えない。芳一が呼ばれても返事をしないでいると怨霊は当惑し、「返事がない。琵琶があるが、芳一はおらん。これはいかん。どこにいるのか見てやらねば・・・」という独り言が聞こえる。しかし怨霊には、写経し忘れた耳のみが暗闇の中で見え、「よかろう。返事をする口がないのだ。両耳の他、琵琶師の体は何も残っておらん。ならば、出来る限り上様の仰せられた通りにした証として、この耳を持ち帰る他あるまい。」と言い、耳だけ持ち帰ることが結果的に芳一にどのような損傷を与えるかに思いをいたせず、頭部から耳をもぎ取ってそのまま去って行った。
朝になって帰宅した和尚は耳をもぎ取られ血だらけになって意識のない芳一の様子に驚き、一部始終を聞いた後、芳一の身体に[[般若心経]]を写経した際、小僧が耳にだけ書き漏らしてしまったことに気づき、芳一に、小僧の見落としについて謝罪した。その後、怪我は手厚く治療されこの不思議な事件が世間に広まって彼は「耳なし芳一」と呼ばれるようになった。琵琶の腕前も評判になり、その後は何不自由なく暮らしたという。結果的に芳一に降りかかった禍は彼の名声を高めることに寄与したことになる。