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[[ファイル:Knickers1.jpg|thumb|250px|女性下着([[パンティー]])]]
[[ファイル:Boxer 002.jpg|thumb|250px|男性下着([[トランクス|ボクサーショーツ]])]]
'''下着'''(したぎ)は中着(中着を着用ていない場合は[[アウターウェア|上着]])の下に着用する衣服。'''インナー'''とも呼ぶ。和服の重ね着の場合、最も内側に着用する衣服。下着のうち、上の服を身体からの汚れから守り、体の保温、快適さ、加えて衛生を維持する目的で肌に直接着けるものは'''肌着(はだぎ)'''と称される。一方、[[ブラジャー]]や[[ガードル]]のように、女子の体形を美しく整えるための下着は、直接肌に付けるものでも肌着ではなく、'''[[ファウンデーション (服飾)|ファウンデーション]]'''に分類される<ref>*JIS L0215</ref><ref>*{{Cite book|和書|author=田中千代|date=1982年3月|title=田中千代 服飾辞典|publisher=同文書院|id=|volume=新増補第2刷|ref=田中}}{{要ページ番号|date=2016-06-02}}</ref>
 
==歴史==
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コルセットは[[ハチ]]のように細い括れから[[ワスピー]](waspie)として再び広まる。胸の谷間を強調する[[ブラジャー|ストラップレスブラ]]も使われるようになる。
 
日本に関して述べると、下着の大衆化はこのころにやっと始まる。[[ワコール]]の創業者[[塚本幸一]]は終戦直後、「これから女性は間違いなく洋装化する」と予測し、ブラジャーを中心に下着の生産販売を初めた。従業員10人からの創業だった。下着を着用する習慣そのものが無い時代であったから、塚本は日本で初めて「下着ショー」を開催した。といっても実態は下着の付け方教室のようなもので、女性限定だったという。これを新聞各紙が取り上げ、下着を日本社会が認知していく端緒の1つとなった<ref>『FLASH』1992年9月15日号{{要ページ番号|date=2016-06-02}}</ref>
日本に関して述べると、下着の大衆化はこのころにやっと始まる。
[[ワコール]]の創業者[[塚本幸一]]は終戦直後、「これから女性は間違いなく洋装化する」と予測し、ブラジャーを中心に下着の生産販売を初めた。従業員10人からの創業だった。下着を着用する習慣そのものが無い時代であったから、塚本は日本で初めて「下着ショー」を開催した。といっても実態は下着の付け方教室のようなもので、女性限定だったという。これを新聞各紙が取り上げ、下着を日本社会が認知していく端緒の一つとなった。<ref>『FLASH』1992年9月15日号</ref>
 
===1950年代から1960年代===