「一撃離脱戦法」の版間の差分

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=== 歴史 ===
1934年、[[ドイツ]]では、[[ウィリー・メッサーシュミット]]博士の「戦闘機は速度、上昇力、急降下性能に優れていれば相手を攻撃することもいったん不利となれば振り切って逃げることもできる」という考えが反映され、無駄のない小型機に最高のエンジンを搭載するという設計思想で作られた[[メッサーシュミット Bf109|Bf 109]]によって一撃離脱戦法の思想がいち早く取り入れられていた<ref>ブレインナビ『第二次世界大戦の「軍用機」がよくわかる本』PHP文庫16頁</ref>。
 
1939年ノモハン事変においてロシアの[[I-16]]は高い運動性を持つ機体だったが、より優れた運動性を持つ[[九七式戦闘機]]との格闘戦で一方的にやられていたが、後半になると、スペイン内戦で実戦経験を積んだパイロットが投入され、一撃離脱に徹して互角の戦いになった<ref>野原茂『日本陸軍戦闘機の系譜図』枻出版社63頁</ref>。