「山田勝彦」の版間の差分

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[[1995年]]はさらに出場機会が減り、プロ初出場した1989年を除いて、初めて打席数が試合数を下回り、ましてや打率も1割にすら達しないシーズンとなった。
 
[[1996年]]6月29日の対ヤクルト戦の[[古田敦也]]の打席で阪神の投手[[嶋田哲也]]が古田の頭部付近に[[ビーンボール]]球を3球続けて投げたことで古田が嶋田に激怒、山田が古田を制止しようとところ古田が放り上げたバットが山田を小突いに当たったことから山田も激高し応酬したため、そこから両チーム入り乱れての大乱闘に発展した。また山田は乱闘の際に古田に投げられたのを始め、ヤクルトの[[トーマス・オマリー]]と[[ヘンスリー・ミューレンス]]に殴られるなど凄まじい結果となった。山田曰く、これは古田がインサイドをえげつなく投手に要求してくるからその報復の意味もあったと後に語っている。同年は再び出場機会に恵まれるようになり、99試合の出場した。ただし、打率.190と打撃面では苦しんだ。
 
[[1997年]]も正捕手に近い形での起用となり、92試合に出場し、1992年と同数の4本塁打を放ち、打率でも.262を記録するなど打撃面でも期待に応える形となった。