「青森自然公園ねぶたの里」の版間の差分

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約13万坪の敷地の中には、メイン施設となる「ねぶた会館」の他、ねぶた名人の[[佐藤伝蔵]]の遺骨が分骨された「ねぶた観音」、大型物産店、レストラン、遊具をとりそろえた「おまつり広場」など、ねぶたのみならずいろいろな体験ができる観光地。
 
この付近一帯が女王・阿弥須(オヤス)とその弟・頓慶(トンケイ)率いる蝦夷の集落であったとされ、[[坂上田村麻呂]]がこれを攻める際に巨大な人形を用いた、というのがねぶたの起源であると伝えられていた(およそ昭和末期まで)。しかし平成に入り、田村麻呂は史実の上では現在の盛岡市までしか達していないことが広く地元青森市民に知られるようになり、この地の由緒が失われた
 
== 施設 ==