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: 『松木家由緒書』などによると、先祖は[[若狭国]][[小浜市|小浜]](現・[[福井県]])の[[商人]]で、[[万治]]年間(1658-60年)に[[弘前市|弘前]]にやってきて、羽二重の商いをしていた。[[寛文]]年間(1661-72年)[[津軽藩]]の新田開発が始まると木造に移り住み、開墾の功を認められ大[[庄屋]]、[[郷士]]になった。[[明治]]に入って、八代目七右衛門の時代に、薬種[[問屋]]([[屋号]]松樹堂)に転業するまで、代々[[造り酒屋]]を営んでいた。
 
== 関連影響を受けた人物 ==
{{関連項目過多|date=2014年12月}}
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* [[石川淳]] - 戦後、太宰、[[坂口安吾]]、[[織田作之助]]と共にいわゆる[[無頼派]]の騎手とされた文学者。太宰とは昭和14年頃以来4度ほど酒席を共にした。太宰の死に際し「太宰治昇天」と題した文章を発表(『[[新潮]]』第45巻第7号、1948年7月)。