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'''朴 文尭'''(ぼく ぶんぎょう、朴文尧、ピャオ・ウェンヤォ、[[1988年]][[4月25日]] - )は、[[中国]]の[[囲碁]][[棋士 (囲碁)|棋士]]。[[黒竜江省]]出身、[[中国囲棋協会]]所属、九段。[[朝鮮族]]としての名前は'''박문요'''(パク・ムニョ)。[[CCTV杯中国囲棋電視快棋戦|招商銀行杯中国囲棋電視快棋戦]]、[[LG杯世界棋王戦]]優勝など。[[陳耀燁]]らとともに小豹世代と呼ばれる。
<!--{{中華圏の人物
| 名前=朴文尭
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[[ハルビン市]]生れ。7歳で囲碁を覚え、黒龍江棋院で陳兆峰、朱燕銘、徐志毅などに学ぶ。1999年初段。2000年に全国少年囲棋戦で3位。この年に父が亡くなり生活が苦しくなるが、[[チョ薫鉉|曺薫鉉]]の支援を受けて[[北京]]で囲碁を学び続け、2004年には三星火災杯予選に招待される。2005年に国家少年囲棋隊入り、[[全国囲棋個人戦]]4位、LG杯世界棋王戦に出場してベスト4進出。2006年五段。2007年に招商銀行杯中国囲棋電視快棋戦の決勝で陳耀燁を破って棋戦初優勝。2008年[[第1回ワールドマインドスポーツゲームズ]]で団体戦中国メンバーとして出場し準優勝。2009年トヨタ&デンソー杯囲碁世界王座戦で決勝に進み、[[古力]]に0-2で敗れ準優勝。2011年にLG杯棋王戦で、決勝で[[孔傑]]を2-0で破って優勝、中国棋士として最年少の世界戦優勝者となり、またこれにより九段昇段。
 
乙級リーグで黒龍江チーム(黑龙江禹程)でに所属していたが、2005年に甲級リーグの[[大連]]チーム(大连上方)に移籍、2006年から[[貴州]]チーム(贵州咳速停)移籍。[[全国智力運動会]]では黒龍江チームで出場。2009年男女ペア戦5位(王倪喬とペア)、2015年男子団体戦9位。[[中国囲棋棋手排名|中国棋士ランキング]]では2007年6位、2008年5位。
 
===タイトル歴===
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*[[名人戦 (中国囲碁)|名人戦]] 挑戦者 2008年
*[[リコー杯囲棋戦]] 準優勝 2012年
*[[倡棋杯中国プロ囲棋選手権戦]] 準優勝 2014年
*[[中国囲棋甲級リーグ戦]]
**2005年(大連上方)13-8
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**2012年(貴州百魂)10-8
**2013年(貴州百魂)14-7
**2014年(貴州百魂)4-6
**2015年(貴州百魂)2-8
**2016年(民生銀行北京)
 
*[[弘通杯国家囲棋隊勝抜戦]]