「大阪スタヂアム」の版間の差分

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[[全国高等学校野球選手権大阪大会]]でも1990年の72回大会まで使われたが、本球場の野球場機能の廃止に伴い大阪府内での球場が不足していたことから、一部の試合を兵庫県の[[阪急西宮スタジアム]]と[[奈良県]]の[[奈良市鴻ノ池球場]]で[[1991年]]の73回大会から[[1993年]]の75回記念大会の期間に越県開催している。
 
[[1998年]]10月18日、さよならイベント「野球フェスタ」が南海OBや少年野球選手らを招待して開催された。このイベントの最後の挨拶は杉浦忠が務め、杉浦の挨拶が終わると同時に照明の灯が落とされた。その後解体撤去され、[[2003年]]10月に大規模な複合商業施設「[[なんばパークス]]」として生まれ変わった。なんばパークスの広場内にはかつて本球場のピッチャーズプレートと[[本塁|ホームプレート]]があった位置に記念のモニュメントとプレートが置かれ、8階に設けられた屋外イベントスペース「円形劇場」の客席部分は大阪球場の外野席の形状そのままにデザインされている。上階には「南海ホークスメモリアルギャラリー」という球団の沿革を示す展示コーナーも設置されており、展示の前では年配層を中心に立ち止まる人の姿が絶えず、未だ関西でホークスが根強い人気を持つことを示しているしかし、野村克也関連の展示は[[野村沙知代|沙知代夫人]]が管理する[[肖像権]]の関係で名前の記述を含めて一切されていない<ref>野村沙知代は南海からの打診を独断で拒否し「20数年ぶりで、やっとあなたたちにカタキが取れます。主人の名前は入れないで結構です。優勝当時の写真があったら、そこから主人の顔を消してください。それが、あなたたちに対する私の長年の思いですから」と言い、夫も文句を言わなかったと述べている。野村沙知代・野村克也『野村セオリー―絆』(ISBN 978-4759309539)</ref>)このなんばパークスの地下には、球場のテナントから移転したウインズ難波がある([[2001年]]に先行オープン)。
 
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