「鉄十字」の版間の差分
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== 1914年章 ==
[[File:Bundesarchiv Bild 183-S51620, Generalfeldmarschall Paul v. Hindenburg.jpg|200px|right|thumb|[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]。喉元に大鉄十字章、左胸上部に2級鉄十字章、中程に大鉄十字章星章、下部に1級鉄十字章を佩用]]
[[ドイツ統一|ドイツが統一]]された後も、[[第一次世界大戦]]時には
<ref>[[ドイツ帝国]]では栄典制度の制定や叙勲の権限は各[[領邦]]にあり、「[[ドイツ帝国]]の勲章」というものは存在しない。従って、形式的にはプロイセン国王[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]が帝国諸邦の将兵にプロイセンの鉄十字勲章(或は[[プール・ル・メリット勲章]])を授与したことになる{{ref label |小川|a|a}}。</ref>。「[[1914年]]章」として知られ、章の表面には王冠とヴィルヘルムの頭文字'''W'''及び制定年度の'''1914'''が刻印されている。
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上級将官が対象となる大鉄十字章と一般兵士にも広く授与される1級鉄十字章の間には大きな開きがあった。[[第一次世界大戦]]までは大鉄十字章と1級鉄十字章の間に位置する、将校を対象とした[[プール・ル・メリット勲章]]等の武功勲章が各領邦毎に制定されていたが、王制廃止に伴い廃止されていた。そのため、同様の位置づけの[[騎士鉄十字章]] (Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes) が制定された。但し、それらの勲章と違い、騎士鉄十字勲章は授与対象者に階級の制限はない。
戦争の長期化に伴って、騎士鉄十字章には上位の柏葉付騎士鉄十字章 (Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes mit Eichenlaub)
星章も制作されたが受章者はなく、戦後連合軍に接収され、[[陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|ウェストポイント陸軍士官学校]]の戦争記念館に所蔵されている。
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