「ナディーン・ストロッセン」の版間の差分

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== 若いころ ==
1950年8月18日[[ニュージャージー州]][[ジャージシティ]]に生まれる。このころの彼女とその家族の経験から、市民的自由を追求する活動のインスピレーションを得たと語っている<ref>''West's Encyclopedia of American Law'', edition 2, The Gale Group, Inc., 2008: "Strossen, Nadine M."</ref> 。「私の父はホロコーストの生き残りであり、また母方の祖父は、第一次世界大戦中、移民としてこの国に来たときに、戦争で戦うことを拒否して文字通り抵抗者になりました。」ストロッセンがインタビューで語ったところによれば、「良心的兵役拒否者であるために彼に下された判決は、ハドソン郡の裁判所を背景にして、通行人が彼につばを吐くことができるよう立っていることを強いられることでした。」<ref>[[n:ACLU President Strossen on religion, drugs, guns and impeaching George Bush|Interview with Nadine Strossen]], David Shankbone, ''[[Wikinews]]'', October 30, 2007.</ref>ストロッセンは1972年にファイベータカッパ(全米優等学生友愛会)の会員としてハーバード大学を卒業した後、1975年にハーバード大学ロースクールを優等な成績で卒業した。ロースクールでは、ハーバードローレビューの編集長を務めた。
 
== 経歴 ==
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[[Category:フェミニスト理論家]]
[[Category:ハーバード大学出身の人物‏‎]]
[[Category:ジャージシティ出身の人物]]
[[Category:1950年生‏‎]]
[[Category:存命人物]]