「ヒロ・ヤマガタ」の版間の差分

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*[[1973年]]、パリの画廊と契約。同年、[[ウィーン]]で初の個展を開催。
 
以後、ロサンゼルスへ移住するまでパリを拠点に様々なサロンへ出展すると同時に、ヨーロッパ各地で個展を開催。この頃の作品は大半が水彩や油彩で、後に一世を風靡する[[リトグラフ]]や[[シルクスクリーン]]などの[[版画]]はほとんど制作されていない。また、渡仏中の[[間章]]をはじめ、[[スティーヴ・レイシー]]などの音楽家、ブライアン・ガイシンなどの詩人らの仲間と共に[[ジャズ]]に熱中。オーガナイザーメンバーとして公演開催のため私財を投げ打ち奔走。当時たまり場だったカフェでは詩人の[[アレン・ギンズバーグ]]や{{仮[[グレゴンクー・コーソ|グレゴリー・コルソー|en|Gregory Corso}}]]とも出会う。1974年には、[[レーザー]]を使った[[インスタレーション]]をパリ市内の劇場で初めて実施している。
 
=== アメリカ居住時代(1978年-現在) ===