「T-40 (戦車)」の版間の差分

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[[T-37 (戦車)|T-37]]、[[T-38 (戦車)|T-38]]の運用実績や[[ノモンハン事件]]での戦訓から、次の偵察軽戦車では装甲を強化することが要求された。実際ソ連の偵察装輪装甲車の装甲厚は最大8mmしかなく、日本軍の[[重機関銃]]の7.7mm徹甲弾の集中射撃で撃ち抜かれ、撃破されてしまったからである。
 
水上走行のため軽量化されたT-37、T-38も同様であり、N.A.アストロフの設計チームは装甲厚を13mmに増強し、重量増加に対しては車体容積を増やして浮力を確保、全くの新型である試作車オブイェークト010(オブイェークトは物、物体の意味で、英語のオブジェクトに相当する)を開発した。
 
四輌の試作車が1939年7月に完成後日二輌が追加され、これらには輸入されたダッジ製やD-5エンジン(76~85馬力)が搭載され、テストされた。この結果、車体長を120mm、幅を50mm拡大、車高は20mm下げて水上での安定性を向上させることとなり、オブイェークト020、T-40の形態が完成した。
 
1941年6月にドイツ軍の侵攻が開始されると、急遽増産のために水上航行装置を撤去して簡易化され、通常の偵察軽戦車となったT-40Sが翌月から量産に入った。
 
[[独ソ戦]]初期の大損害の穴埋めのために歩兵支援に駆りだされ、[[モスクワの戦い|モスクワ防衛戦]]などで武装と装甲の貧弱さゆえに多数が失われて姿を消し、残存車両は訓練用となった。
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足回りは輸入したスウェーデンの[[ランツベルクL-60]]を参考にソ連の軽戦車としては初めてトーションバー・[[サスペンション]]が採用され、水辺での機動性が向上した。1940年10月からの量産型はGAZ-11トラック用の85馬力ガソリンエンジンを搭載していた。
 
武装は従来の7.62mm[[DP28軽機関銃|DT機銃]]に加え12.7mm[[DShK (機関銃)|DShK重機関銃]]が搭載され、近くの軽装甲目標を撃破したり、3500m3,500m先の軟目標に制圧射撃を浴びせることができるようになった。
 
== T-30 ==