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金融機能の起源としては[[両替商]]が古くからあり、[[フェニキア人]]による両替商が知られていた。古くは[[ハムラビ法典]]には商人の貸借についての規定が詳細に記述されており、また哲学者[[タレス]]のオリーブ搾油機の逸話などで知られるように、古代から高度な金融取引・契約はいくつも存在していたと考えられるが、一方で貨幣の取り扱いや貸借には宗教上の禁忌が存在している社会があり、例えばユダヤ教の神殿では神殿貨幣が使用され、信者は礼拝のさいにローマ皇帝の刻印がされた貨幣を神殿貨幣に両替し献納しなければならなかった。ユダヤ・キリスト・イスラム教では原則として利息を取る貸付は禁止されていたので、融資や貸借は原則として無利子([[売掛]]・[[買掛]])であった<ref>ユダヤでは同宗以外への利付貸付は容認されていた</ref>。これらの社会においては交易上の利益は認められていたので実質上の利子は中間[[マージン]]に含まれていた。両替商が貨幣の両替において金額の数%で得る利益は手数料であった。
貸付・投資機能が高度に発達したのは中世イタリア、ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェにおいてである。遠隔地交易が発達し、信用による売掛
13世紀頃の北イタリアではキリスト教徒が消費者金融から一斉に撤退し始めるがその理由ははっきりしない。15世紀にはユダヤ教の[[ユダヤ人]]金融が隆盛を極めた。しかし15世紀後半には次第に衰退した。ユダヤ人が貧民に高利貸付をして苦しめていると[[フランチェスコ会]]の修道士が説教したので、都市国家[[ペルージャ]]は最初の公益質屋([[:en:Mount of piety|モンテ・ディ・ピエタ]] monte di pietà<ref>今も経営されている[[:en:Nacional Monte de Piedad]] は、[[メキシコシティ包囲戦]]で[[レオナルド・マルケス]]に金を押収されている。</ref>)を作り低利で貸付を始めた。それまで徴利禁止論を標榜していたキリスト教会は、[[第5ラテラン公会議]]で言い逃れをした。すなわちモンテの利子は正当であり、禁じられた徴利にあたらないとしたのである<ref>「中世イタリアのユダヤ人金融」大黒俊二(大阪市立大学大学院文学研究科教授2004.3.9)[http://www.tufs.ac.jp/21coe/area/insatsu/pmg_workshop_040309_oguro.pdf][http://www.tufs.ac.jp/21coe/area/insatsu/han_02_insatsu_03.html]</ref><ref>「嘘と貪欲」大黒俊二[http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBCLK003/f_2004-18920h.pdf]P.105以降に詳しい。</ref>。
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