「ジョージア・オキーフ」の版間の差分

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[[マディソン (ウィスコンシン州)|マディソン]]で高校時代をすごした後に[[シカゴ美術館附属美術大学]]で絵画を学び、更に[[ニューヨーク]]の[[アート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク]]に入学、[[ウィリアム・メリット・チェイス]]に師事した。ニューヨーク滞在中に将来の夫となる写真家のスティーグリッツに出会っている。
 
1908年シカゴに戻りイラストレーターとして働いたが、1910年病気が元で家族がいた[[バージニア州]]に移る。オキーフも一時、絵画から離れていたが[[ヴァージニア大学|バージニア大学]]の夏期講座に出席し、[[アーサー・ウェスリ・ダウ]]に出会ったことがきっかけで再び描き始めるようになった。
 
== 代表作 ==
* 黒いアイリスIII(1926)(III(1926年)([[メトロポリタン美術館]])
* 街の夜(1926)((1926年)([[ミネアポリス美術研究所]])
* 抽象 第6番(1928)((1928年)([[愛知県美術館]])
* 赤・白・青(1931)((1931年)(メトロポリタン美術館)
* 雄羊の頭、白いタチアオイ、丘(1935)((1935年)([[ブルックリン美術館]])
* 骨盤とペダーナル山(1943)((1943年)([[マンソン・ウィリアムズ・プロクター美術研究所]])
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