「ブルー・オイスター・カルト」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
渚月 (会話 | 投稿記録)
m 全角閉じダブルクォート「”」→全角開きダブルクォート「“」
12行目:
|Associated_acts =
|URL = [http://www.blueoystercult.com/ blueoystercult.com]
|Current_members = エリック・ブルーム<br />ドナルド・バック・ダーマ”・ローザー<br />カシム・サルトン<br />リッチー・カステラーノ<br />ジュレス・ラディーノ
| Past_members = アラン・レイニア<br />ジョー・ブーチャード<br />アルバート・ブーチャード<br />リック・ダウニー<br />ジミー・ウィルコックス<br />トミー・ズヴォンチェク<br />ダニー・ミランダ<br />チャック・バージ<br />ボビー・ロンディネリ<br />[[ルディ・サーゾ]]
}}
20行目:
== 音楽性と活動の変遷 ==
=== 結成からメジャーデビューまで ===
1967年、[[:en:Sandy Pearlman|サンディ・パールマン]]が、自作の詩「The Soft Doctrines Of Imaginos(イマジノスの柔らかな経典)」<small>( [[#イマジノス]]参照)</small>の世界観を、ロックによって表現するというコンセプトで、協力者アルバート・ブーチャードとともにミュージシャンを集め、[[ニューヨーク市]]の[[ロングアイランド]]で結成された。結成当初のバンド名は「Soft White Underbelly」<ref>lesvegas.com Soft White Underbelly [http://www.lesvegas.com/softwhiteunderbelly.html]</ref>であった。パールマンはマネージメントを担当し、ライブのブッキングやレコード契約を速やかにまとめて彼らを表舞台に送り出したのであるが、バンドに与えたパールマンの影響はそれに留まらず、自作の詩をバンドのオリジナル曲の[[歌詞]]の素材として提供し、バンドが生み出した世界観にも決定的な影響を与えた。
 
[[1968年]]、[[エレクトラ・レコード]]向けにアルバムを制作するが、エレクトラの反応は悪く、アルバムの発売は中止される。一方バンドはシンガーを交替させ、エリック・ブルームを迎え入れる。[[1969年]]、バンドは[[フィルモア・イースト]]の舞台に立つが、ステージの評判は今ひとつであった。パールマンはバンド名の変更を決定。「オアハカ」「ストーク・フォレスト・グループ」など短期間にバンド名を入れ替える。結局バンド名が「ブルー・オイスター・カルト」に落ち着いたのは[[1970年]]のことであった。この間に、またいくつかの楽曲をレコーディングしているが、エレクトラはサンプル盤としてシングルを300枚プレスしたに留まった。
29行目:
 
ライブ・アルバム『On your feet or on your knees』(1975)の好調なセールスにより広く知られるようになった。なお、このアルバム題名となっている'On your feet or on your knees!'を冒頭でMCとして叫んでいるのはニューヨーク・パンクの礎の一人でもあるパティ・スミスである。当時としてはLP盤2枚組の高価なセットであったが、N.Y.でのアンダーグラウンド系ロックの記録として未だに評価が高い録音であり、スタジオ録音のB.O.Cとは趣が異なる演奏が聴ける名作である。
次いで代表作ともいえる『Agents of Fortune』(1976)をリリースする。『Agents of Fortune』からのシングル「(Don't Fear) The Reaper」<ref> 日本では、最初シングルA面"Sinful Love(邦題・罪深き恋)"、 B面"(Don't Fear) The Reaper(邦題・死神)" で、典型的B面ヒットとなった</ref>が全米12位まで上昇し、アルバムは[[ゴールド・ディスク]]を獲得する。[[1980年代]]のハード・ロック・ブーム以前にこの数字を出したハード・ロック・バンドはさほど多くない。
 
『Spectres』(1977)では、[[ゴジラ]]をテーマにしたシングル「[[ゴジラ (ブルー・オイスター・カルトの曲)|Godzilla]]」が、 エリック・ブルームによる日本語ナレーションを挿入したこともあり、ハード・ロック通の間でネタとして評判になるも、前作ほどの成功は収められなかった。翌年、ライブ・アルバム『Some Enchanted Evening』(1978)をリリース。プラチナ・アルバムを獲得する。コンサートにおいては、レーザー・システムを導入するなど、派手なパフォーマンスでも注目を浴びる。
 
[[1979年]]、バンドはそれまでの全てのアルバムをプロデュースしていたサンディ・パールマンに代わり、トム・ワーマンを迎えて『Mirrors』(1979)をリリースする。しかし完成したアルバムは重さに欠けるとして不評を買う。続いて、[[マーティン・バーチ]]をプロデューサーに起用してアルバム『Cultösaurus Erectus』(1980)をリリース。マーティン・バーチの起用は、当時ブラック・サバスのマネージメントをも請け負っていたパールマンの引きによるものであった。つまりパールマンはブラック・サバスの『[[ヘヴン&ヘル]]』(1980)のサウンドをブルー・オイスター・カルトに持ち込もうとしたのである。この試みは一定の成果を挙げ、アルバムはイギリスにおいてもヒットする(英チャート18位)。
81行目:
| 1977|| [[:en:Spectres (album)|Spectres]]|| スペクターズ|| #43 ||
|-
| 1978|| [[:en:Some Enchanted Evening (Blue Öyster Cult album)|Some Enchanted Evening]]|| 暗黒の狂宴~B〜B.O.C.ライヴ|| #45 || ライブ盤
|-
| 1979|| [[:en:Mirrors (Blue Öyster Cult album)|Mirrors]]|| ミラーズ|| #44 ||
112行目:
*[[パティ・スミス]] - アラン・レイニアと親交があり、『Agents Of Fortune』にゲスト参加。
*[[セバスチャン・バック]] - バンドの大ファンで、[[スキッド・ロウ (バンド)|スキッド・ロウ]]時代から度々、ライブで「Godzilla」をカヴァー。
*[[メタル・ウムラウト]] - Blue Öyster Cultのように、その名称に[[ウムラウト]]を使用するバンドとして、[[モーターヘッド]](Motörhead) 、[[モトリー・クルー]](Mötley Crüe)、[[クイーンズライク]](Queensrÿche)などがある。
*[[メッサーシュミット Me 262]] - 『Secret Treaties』のジャケットのアートワークにおいて使用され、同アルバムに収録された楽曲のタイトルにも使用された戦闘機。