「マティルダ (神聖ローマ皇后)」の版間の差分

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[[Image:Empress matilda.jpg|thumb|マティルダ]]
'''マティルダ'''(Matilda, [[1102年]][[2月7日]] - [[1167年]][[9月10日]])は、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー1世 (イングランド王)|ヘンリー1世]]とその王妃である[[スコットランド王国|スコットランド]]王[[マルカム3世 (スコットランド王)|マルカム3世]]の娘[[マティルダ・オブ・スコットランド|マティルダ]]との間に生まれた王女。同じマティルダの名を持つ多くの歴史上の人物と区別して、'''マティルダ皇后'''(Empress Matilda)、'''モード皇后'''(Empress Maud、Maud はサクソン語で Matilda)、'''イングランドのマティルダ'''(Matilda of England)などとも呼ばれる。
 
マティルダはイギリスにおける初の女性君主として知られる。ただし実効支配者としてイングランドに君臨したのが対立王を一時的に捕獲していた[[1141年]]の数ヵ月間に限られること、女王として戴冠することがついになかったこと、そして自らの手で王権を統合することができなかったことなどから、後世の史家はこのマティルダを正統な君主として認めながらも歴代のイングランド王には数えないという、玉虫色の扱いをするに至っている。